【note川柳】#34:お題は「昭和」(166~170)
心はZ世代! 身体は還暦過ぎた昭和人! Z世代応援団のじーじです!
とっくにお題にしているかと思ったら「昭和」は、まだ使っていなかったので今回のお題にしました。
戦後の焼け野原から1964年の東京オリンピックまでの19年間、民主主義という自由を手に入れた日本人が一体になって、本当によく働き、奇跡の復興を遂げました。
ある意味では幸せな時代だったかもしれない昭和へのノスタルジーも込めて、この時代を川柳にしてみました。
冷蔵庫洗濯機あとテレビジョン
昭和の三種の神器と言われたのは、電化製品3点セットでした。
一般家庭が戦後に手に入れた電化製品の代表が冷蔵庫と洗濯機に白黒テレビでした。
とくに洗濯機は、早朝から休むことなく家事をし続けた女性たちにひとときの休息を与えてくれたのでした。
じーじは白黒テレビに夢中でした。「鉄人28号」や「月光仮面」、子供心をくすぐるテレビ番組に夢中でした。
Wikipediaによれば、鉄人28号(テレビアニメ)は1963年に始まり全84話とありましたので、幼かった私が見ていた記憶と一致しているのですが、「月光仮面」の方は、KRテレビ(現TBS)で1958年2月24日から1959年7月5日まで放送されたとの記述でしたので、じーじが見ていた記憶はきっと再放送だったのでしょうねえ。
最初の頃の洗濯機には洗濯槽しかなくて脱水は、ハンドルをくるくる回して絞るそんな洗濯機だったことをよく覚えています。昭和ですよね。
東京に負けず大阪万博や
東京オリンピックが1964年、そして大阪万博は1970年。
世界中の人に日本の戦後復興を知ってもらうイベントでした。
大阪万博は、家族旅行で連れて行ってもらったので記憶に残っています。
日本人がみんな行ったのではないかと思える大盛況で超満員でした。
大阪万博の前年1969年7月20日に人類は初めて月に降り立ちました。そのアポロ11号が持ち帰った月面の石が展示されていた米国館は大人気で、連日3時間以上待つのが当り前の長蛇の列でした。
残念ながら1泊2日のじーじたちは貴重な時間を3時間も4時間も並んで待つことはできず、米国のお隣の国であるメキシコやカナダの展示館など、直ぐに入れるところを狙って見て回ったと記憶しています。
堅実だった父親らしい戦略だったと思います。
メキシコ館で記念メダルを買ってもらったのが嬉しくてしばらく宝物にしていたのですが、あの宝物はどこにいったんでしょうかねえ?
三波春夫さんの「こんにちは、こんにちは世界の国から~」の歌が印象に残っています。「東京だけにいい思いはさせないぞ」という大阪の執念のような万博でした。昭和ですよね。
東京に次いで札幌五輪来る
昭和の戦後復興の象徴は1964年の東京オリンピックでした。
1956年の経済白書に「もはや戦後ではない」の一節が登場しました。
1960年生まれのじーじは、沖縄戦の民間人の悲惨さや原爆被害者としての日本人の悲惨さを描いた物語を見て育ち、朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)については「特需」として日本の戦後復興にはプラスであったかのような歴史教育を受けた覚えがありますが、意外に朝鮮戦争を日本人は学んでいません。
札幌五輪の句とは関係ないので詳しくは書きませんが「もはや戦後ではない」復興には、朝鮮戦争という悲惨な特需があったことも事実です。
札幌五輪をまた誘致しようとの動きがあるようですが、今回の何とも後味の悪い東京五輪の総括もせずに「もうやめてくれ」と個人的には思います。
一部の既得権益者が昭和丸出しで五輪誘致をする姿は「衰退途上国」まっしぐらの姿です。
今は、そんなことに日本の税金を使わすわけにはいきません。既得権者への報酬ではなく、未来の子供たちへの投資が必要だと思います。
歌謡曲 2時間ドラマ ワイドショー
よ、昭和名物3点セット!
名物歌謡番組と言えば黒柳徹子さんと久米宏さんがMCを務めた「ザ・ベストテン」! じーじも見ましたよ。
火曜サスペンス劇場、これも毎週見ていました。番組の最後にかかる岩崎宏美さんの「聖母(マドンア)たちのララバイ」がヒットしたのは1982年のことでしたが、同番組がスタートしたのは1981年9月29日でした。
ワイドショーで印象に残っているのは、『ルックルックこんにちは』です。司会にまだ30代になったばかりだった沢田亜矢子さんが起用されて、時事解説コーナーに起用されたのが竹村健一さんでした。
これが世間ウケして「竹村健一の世相講談」(1979年 - 1985年3月)が人気コンテンツになりました。芸能ゴシップだけでなく、政治・経済を茶の間に持ち込んだ功績は大きかったと思います。
懐かしいなあ、昭和!
おっぱいがテレビでポロり出た時代
昭和ですよね。
今の若い人には信じられないと思いますが、昔はゴールデンタイムのテレビでおっぱいポロリが見られたのですよ。
芸能人水泳大会、名物は水中騎馬戦! 必ず女性のビキニからおっぱいポロリ! そんな時代もあったのですよ。
泉ピン子さんは大女優になってしまいましたが、彼女が人気者になったのは『テレビ三面記事 ウィークエンダー』のリポーターとしてでした。
この番組は、日本テレビで1975年4月5日から1984年5月26日まで土曜夜10:00からの1時間番組として放送されました。
全国ニュースで伝えられることがないB級事件を泉ピン子や桂朝丸(現:桂ざこば)がフリップボードや再現フィルムを使って面白おかしく伝える番組で、常に30%以上の視聴率を誇る日本テレビの看板番組でした。
この再現フィルムがちょっとエッチでおっぱいポロリが売りだったのです。
こうやって昭和を見てくると番組編成もいかにも男性中心だったことがよく分かりますね。
☆☆☆
(感謝)
▼今週の月曜に池辰彦さんの記事を引用させていただいた「じーじのボヤキ」を投稿しました。そうすると池さんにじーじの記事を紹介返ししていただきました。池さん、どうもありがとうございます。感謝いたします。
▼月曜日にトロフィーをいただきました。前の週に岸田首相のNYでの英語のスピーチの和訳で「うれしいお知らせです!」通知をいただきましたが、今度は本当に英語でスピーチしている動画を紹介した記事でトロフィーをいただきました。これも皆様のスキ応援のお陰です。沢山のスキをありがとうございます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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