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【note川柳】#28:お題は「光陰如箭」(136~140)

心はZ世代! 身体は還暦過ぎた昭和人! Z世代応援団のじーじです⁉

さて、今回の川柳のお題は「光陰如箭(こういんじょぜん)」
光陰矢のごとしのとおり、月日は矢のように瞬く間に過ぎ去ってしまうと実感する今日このごろです。

じーじが26歳、ばーばが24歳、合わせて50歳で夫婦生活を始めた私たちが51歳と49歳、足して100歳だった2011年(東日本大震災)から11年経過した今年(2022年)、私たちは、62歳と60歳、合わせて122歳の夫婦になりました。

数字好きのじーじとしては、次の目標は14年後の夫婦150歳です。

じーじはまだフルタイムで働いている昭和人なので、有給休暇があるとは言っても65歳で仕事を引退するまでは、長期の休みがとりづらいので65歳から夫婦150歳までの11年が夫婦で旅行を楽しむ勝負期間かなと未来から逆算して考えています。

それにしても光陰矢の如しは本当ですね。

初孫があっと言う間に四年生

孫が生まれたのは2012年11月でした。
じーじは、まだ、ハワイのマウイ島に単身赴任中でした。
ちょうど報告のための帰国タイミングに、孫を自宅まで連れてきてくれて初めて会わせてくれました。

11月末で寒くなってきた時期でしたので、お風呂に入れてやれとみんなに言われて、恐る恐る孫を抱いて湯舟につかったのを今でも覚えています。

息子二人を初めてお風呂に入れた時のことはよく覚えていなくても初孫をお風呂にいれた時の恐ろしさというのか、首も座ってないし、頭を強くつかんでしまうと壊れてしまいそうな小さな赤ちゃんの印象は鮮明なんですよね。

湯舟につけると驚いて暴れるので湯船に落としてしまうのじゃないかとドキドキして、手に力を入れるのも恐ろしくて、すると妻がさっと、ガーゼを赤ちゃんの手に握らせて落ち着かせてくれてホッとしたことまで覚えているんですよ。

2013年5月に帰任。もう孫は生まれてから半年経っていたので、最初は、見慣れぬじーじに抱っこされると泣いて、ばーばが抱くと泣き止むのでちょっと嫉妬しましたが、じーじに慣れるのも時間の問題でした。

そんな孫がもう小学校4年生です。光陰矢の如しとはよく言ったもので、本当に時間の経つのは早いものです😅😊

大好きな彼女がママ今ばーば

じーじが結婚したのは1986年でした。
じーじの職場の女性に紹介してもらって当時幼稚園の先生をしていたばーばと付き合うようになり、やがて結婚。

じーじ26歳、ばーば24歳で始めた結婚生活は、1987年に長男が誕生して彼女はママになりました。

次男が誕生した1年後の1991年に米国シアトル駐在が決まって幼い二人の息子を連れて家族で米国西岸で住んだ経験も30年以上前のことになりました。もうそんな昔の話かという感じです。

米国西岸のワシントン州からオレゴン州へ米国での引っ越しも経験しました。人生の中で4年間家族4人で米国西岸生活を経験できたことは、今から思えば貴重な思い出です。

それがいつの間にかママからばーばですよ。まあ、私もいつの間にかパパからじーじですけどね。人のことが言えたものではありませんが、光陰矢の如しとはまさにこの事です。

還暦は近い未来と覚悟せよ

アラフォー、アラフィフの皆さん、還暦なんてずっと先のことだと思っているでしょうが、人生の先輩として一言助言申し上げると「直ぐ来ますよ」ということです。

今思えば、40歳前後が働き盛りだったと思います。気力・体力・知力に経験値が重なっていい仕事ができる「本当によく頑張ったな」と思える頑張りの効く(無理の効く)年代だったと思います。

もう今からは40代前半の働き方は無理です。

50代の方は、病気に気を付けてくださいね。じーじは54歳の時に大手術をしました。しかし、早く見つかれば、今は癌は治る病気です。<じーじはあまり早くは見つからなかったのですが。。👇>

いずれにしても「あっ」と言う間にあなたも還暦ですから。光陰矢の如しと覚悟してください。

平成が終わって既に四年なり

昭和は64年1月7日に昭和天皇が崩御され、時代は平成に変わりました。
昭和は実質63年間。三等分してみると昭和元年~昭和21年、昭和22年から昭和42年、昭和43年~昭和63年ということになります。

最初の21年間は太平洋戦争に突き進んで「敗戦」を経験しました。

それまで頑固に守り通してしてきた「変わらない」日本を強制的にガラガラポンされて、若い松下幸之助や本田宗一郎らを輩出して頑張った戦後復興・高度経済成長したのが中期の21年間でした。

昭和の最後21年間は、戦後復興の中期21年間の成功体験で「日本は優秀なんだ」と思考を停止してしまい、日本人が得意な「変わりたくない」病が発症しバブルへと突き進んでいった21年間でした。

「前例踏襲」「属人化・部分最適・長時間労働」「家庭内役割分担(男が働き女性が子育て)」のムラ社会を続けた結果、平成に入っての30年間(平成31年が令和元年)日本は衰退を続けました。

ゆでガエルのようにゆっくりと気が付かない内に衰退が進んでいました。

その平成が終わって、令和の時代に突入して早くも四年です。
ここまでのところ世の中は、既得権益者のガードが固く、有効な手を打つことが出来ていません。

成長投資にお金が向かう社会基盤にはほど遠いのが現状です。もう令和4年ですよ。光陰矢の如しです。

信長が詠んだ人生五十年

信長の時代は、平均寿命としては20歳前後だったと言われています。江戸時代でも30~40歳、明治時代で40歳代、平均寿命が50歳に到達したのは昭和22年だそうです。

信長が詠んだ「人間五十年」は仏教用語で、「人の世の50年の歳月」という意味だそうです。

幸若舞(こうわかまい)「敦盛」の一節
信長は48歳で亡くなりました⁉

信長時代の戦国武将たちの人生設計は、上記のような感じだったのかな?とじーじが勝手に想像したものです。

平均寿命が80歳を超えた現代の人生設計は?

勝手にこんな風に考えてみました。還暦過ぎた人は、次世代の若者の邪魔をせずに支援することが大切なのではないかと思っています。

頑張れZ世代!


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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▼川柳シリーズからおひとつどうぞ!お題は「共働き」👇

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