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上手く話せなくたっていい

私の悩みは人見知り、そして他人と話すことが苦手だということだ。人と話すとき、色々考えて言葉がすぐに出てこないし、緊張して声が変になる。人の顔色ばっか窺って、今の発言は間違っていたのではないかとビクビクしながら生きている。そして沈黙が怖い。そう、人と話すことが苦痛なのである。

そんな私でも、いろんなところに行きたい、いろんな人と出会いたいという好奇心だけは人一倍強い。だから、いろんな活動に参加してみる。だが、大抵このコミュ障が私を苦しめる。やりたいことに対して、自分の心や気質がついていかないのである。やらない方が絶対メンタルには良いということはわかっていても、私は自分の好奇心を抑えることが出来ない。私はそういう、めんどくさい人間なのである。

そんな私だが、3月に私はフィリピンのスラムを訪れた。一人でのツアーに参加。現地での集合。初めての一人空港。途中、フィリピン人入国審査に並んでしまい、呼び止められながらも、無事入国。集合場所がわからず、現地の人にマップを見せ聞くも、全員違う場所を指す。いったいどこが正しい場所かわからない。一時間迷った結果、合流できたものの、場所は違ったみたい。こんな私だが何とかなった。

ツアーではいくつかのスラムを訪れた。
私はスラムでの出会いを通して、コミュニケーションとは何かについてずっと考えていた。フィリピンの多くの人が明るくて、いつもニコニコしている。支援をしている団体のツアーであるからというのもあるとは思うが、スラムでの大変な生活の中でも、どうしてこんなに笑顔で外国人である私を受け入れてくれるのか不思議だった。

私の中で印象に残っている子がいる。スラムで会った子だ。ベンチに静かに座っていた子で、私はその子の隣に座らせてもらった。初めはニコニコ笑い合っていただけだったが、なんだかとても楽しかった。簡単な英語ならわかる私、その子の「You cute」という言葉がとてもうれしかった。人からの言葉ってうれしいな、コミュニケーションって楽しいなと思えた出来事だった。

いつも自分のコミュニケーション能力について悩んで、自分のことが嫌いだった私。でも、スラムの人や子供たちと関わって、そんなことはどうでも良いじゃないかと思った。
笑いかけると笑いかけてくる。言葉が伝わらなくても、気持ちは伝わっていたと思う。言葉がなくても良いんだと実感した。会話力がないから、英語力がないから、そうやってコミュニケーションをとることから逃げてしまいたくなる。会話力の本を読んだって、現実では上手くいかないし、自分の性格を恨みたくなる。

でも、それでもまあいっかと思えた。会話が下手でも、他人と関わるのが苦手でも、良いじゃないかと思えた。互いにお互いのことを分かろうとすれば、分かり合える。例え、言葉が伝わらなくてもわかり合いたいと思えば、その思いは伝わる。その人の目を見て笑えば、気持ちは伝わるのだと実感した。そこにはお互いがお互いを分かり合おうとしていたからではないかと思う。コミュニケーションは互いが相手に寄り添わなければ、成り立たない。相手のことを考えなければ、一方通行で終わるし、傷つけてしまうこともある。

私にとって、コミュニケーションをとることは、恐怖である。だが、分かり合えた時の嬉しさは何よりも大きいことも私は知っている。
傷つく可能性があっても、幸せになれる可能性もあるから、人は他人と会話をしようと思うのかもしれないと思った。
私は大抵傷つく可能性ばかり考え、人と話すことを避けてしまう。
あの子と分かり合えたんだからと自分に言い聞かせて、少し勇気を出してみようかと思う。
分かり合えなくても、わかり合おうとする気持ちがあれば、世界は少し変わるのかもしれない。


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