コラム 法と社会とアートの責任

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クレ・アブラハムによる、道路標識の上にステッカーを張るアートが「クールな標識アート」と紹介されているが公共物や巨大な建築物を主な対象にし個人宅・商店は狙わないことをマナーとするグラフィティであっても器物損壊にあたるものなので、法を厳密に適用するか、は焦点となる。

道路標識は運転者にとって安全確保のために必要な情報を提供するものでもあり、過剰に注目を集めたりかえって意味を分かりづらくさせることは事故や危険を招きかねない。美術館では専門家が鑑賞者の安全に気を配るものだが、改変された標識に目を奪われ、戸惑い、発生した事故の損害をアブラハムは保証できるのか(当然取り返しのつかない事故も起こりうる)。


「もっとアートに理解を。もっと豊かな社会を目指し、表現の自由を認めよう」。美しい主張だが、その行為が他者を危険にさらすなら、覚悟や資産では償い切れない場合もある。


アートに限らず「どこまでその行為が認められるか」。社会常識や人々の肌感覚に照らした上で仕掛けなければ、公共の場での表現は支持を得られないかもしれない。




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