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思い出的なもの:何故今私は珈琲屋なのだろう?という自問に対する後付け的自答

最近、昔のことを思い出すことが多くなりました。
歳のせいですね、きっと。

そこで思い出の写真を一枚。

1982年の秋、20歳の大学生の私です。
場所は中国自動車道のとあるSA。

ちなみにツーリングではありません。家出です。
この逃避行は宮崎県で終わります。

もう40年も前の話です。

家出の理由は本題からはずれるのでここでは話しません。

ところで、この写真を撮ったときも缶コーヒーを飲んでいたことを憶えています。

今思えば、私の思い出のあちこちに珈琲が登場します。

それが缶コーヒーであったり、インスタントコーヒーであったり、純喫茶のサイフォンで淹れた珈琲であったり。

いろいろなスタイル、いろいろなシーンがあれど、いつも傍らに珈琲があったなぁと。

そしていま私はなぜか珈琲屋です。

なぜ珈琲屋になったのか、その理由を自身に問うてみても、筋道を立てて説明することはできません。
しかし、一見何の脈絡もない他愛のない出来事や小さな選択のひとつひとつが、実は見えない糸でつながっていて、知らぬ間に珈琲屋につながる人生を歩んできたのだろうと思うほかありません。

偶然ではなく必然。

この仕事を天職だと思えることがその証だと思います。

理由は何であれ、珈琲屋である以上は、皆様の日常に、そして人生に寄り添える、そんな珈琲を作り続けて行きたいな、と改めてそう思うのであります。
2021年5月Facebook投稿記事より

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