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今の私ままで、十分にどこへでも行けるとしたら。


大好きな音楽を聴くことすら忘れるくらい、
新しい自分になろうと思って、思い過ぎていた。


私はアジカンとGotchの音楽が好きなんです。


っていうことを、今日の私はちゃんと思い出して、
知らない間に出ていた新曲を
全身で深く息を吸って、細胞の一つ一つにその豊かな感性を取り込むように、聴き込んでいる。

必要なことは、もしかして、古い自分を捨てて、新しい自分になることじゃなかったかも。

私はいろんなことを、自分にはできないって思い過ぎている。

今の仕事だって、これからも続けるという選択肢しか私の中にはないみたいだけど、

本当にそうなんかな?


仕事の中で感じる不毛さや不全感と

身勝手な同僚に対する怒りや苛立ちで消耗すること。

この組織の一員である以上、「それ自分の仕事じゃないんで」では済まないと思って、自分の役割をはっきり線引きできず、引き受け過ぎること。


でも、与えたわりに周りからは与えられないと思ってしまっていること。



何年もこの仕事をしてるけど、やっぱり最初から、今もずっと、嫌、と思っている。

やりたくないことをやってお金をもらっている。
仕事ってそういうものだと思っていたし。

でも、「お金のため」という動機だけでは、もうつなぎ止められないくらい、家に帰りたい。
無気力と、それと慢性的な身体の不調。

私は仕事以外で、やりたいことがけっこうある。
それがはっきりと意識できるようになったから、休日は生き生きしているけど、
反面、平日の気だるさがより一層際立ち、無視できないようになった。

それは自分の課題だと思っていました。

自分にはもっと自己主張が必要だと。

自分の物事の捉え方や考え方、行動が変われば、現実は良い方向に変わっていくと。

今ももちろん、そういう面はあると思う。
でも今の私が求めているのは、そういうことではない。

この生命はすでに必要なものを持っているとしたら。
自己実現ということや、
創造性の回復ということが、
私たちがすでに持ってる力を使えるようになることだとしたら


今、うまくいっていない(と感じている)ことは私に何を教えようとしているんかな。

今の仕事を続けることで、逆に失っていることがあるとしたら。

必要なことは、これまでの自分の考え方や行動を変えることではないのかもしれない。
もしそうなら、自分の未来の、予測可能性の向きみたいなものを、変えてみることだったりするのかもしれない。

うらぶれたショッピングモールの屋上の駐車場
僕たちは傷物
穴の空いたベジタブルかも
それならどこでへも行けるでしょう

ごめんね
僕たちは先に降りる ここから
ごめんね 
売り物じゃないんだよ 本当は
そんな全てに値札がつくよりもさ
All I need is you で足りちゃうんだもの
いつでも

                                   Vegetable ーGotch 
                                   Written by Masafumi Gotoh


今の仕事を続ける以外の未来があるなら、私は断然そっちの方を見てみたい。

紛れもなく私の手によって「できない」「持っていない」と刷り込まれ、いじけ、卑屈になった私自身に、「今のままでどこへでも行ける」ということを、根気強く理解してもらいたい。


「持っていない」ものは、本当に持っていないなら、「持っていない」ことすら自覚することはできないかもしれないのだから

そうだとすれば、私はすでに必要なものを、ちゃんと持ってるのかもしれない。

もし、今の私で、どこへでも行けるのだとしたら、私はどこに行くんかな。

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