HimeHistory

2人組の漫画家 姫川明輝です。ユニット結成は1987年。コミケ創作の合作漫画から始まり…

HimeHistory

2人組の漫画家 姫川明輝です。ユニット結成は1987年。コミケ創作の合作漫画から始まり、商業デビューは1991年。動物、自然の表現が得意分野でファンタジー作品を中心に描いてきました。このnoteではコンビ結成〜漫画家業35年に渡るヒストリーをゆるく連載します(執筆担当/長野)

最近の記事

出会い編・9〈きつね狩り〉の衝撃

送られてきた「きつね狩り」vol.2の表紙を見た時の衝撃は今も鮮明です。 何しろ、黒インクじゃなかった! 白地に色インクの多色刷りで、とても可愛い子ギツネ(この絵がまたディズニーのようでいてそうでなく魅力的で上手かった)がお花畑で楽しく跳ねているイラストで、「こんなお洒落な同人誌見たことない」が最初の感想でした。当時多色刷りの表紙の同人誌など無かったのです。黒じゃなくても、一色のインクで刷るのが普通でみんな「地味」でした。そこに降臨した天然色。たった3色なんだけど、色選び

    • 出会い編・その8 同人誌の始まり

      我々2人は「パラライザー」会誌上のお互いの〝絵〟を通じて認識し合っていましたが、初めてリアルで顔を合わせたのは009FCの夏の総会でした。それまでに何度か手紙でのやり取りはしていたと思います。 初対面でどんな言葉を交わしたかは記憶にないですが、会の最後にこれで解散です〜となった時に、本田がたくさんの会員に取り囲まれてサイン攻めにあってたのはよく覚えていて「うわ、これはもう喋ることもできないや」と立ち尽くしてたら、本田が「もう一回抱き合おう・笑」と言ったので、初対面は多分ハグ

      • 出会い編・その7(漫画編)

        その6までと内容がちょっと被りますが以前この辺りのくだりを描いたマンガです。こうしてまとめると実に短い!(笑) 009FC 夏の総会で初めて会ったホンダの印象でした☆ 本田はこのころ確かもう高校を卒業して会社に勤めてて、自分はまだ高校生だったと思います。漫画とアニメが青春だった10代、純だったな〜(純粋とは言わない)

        • 出会い編・その6

          その頃私は東京住まいだったので、埼玉県の本部に出入りして会誌の清書(会員から届く手紙を全部手書きで清書して会誌にしていたのです)や発送の手伝いなんかもしていて、友達がたくさん出来ました。今でも続いてる友達が何人もおります。会誌「パラライザー」は2ヶ月に一度の発行で、レアなアニメ情報(インターネットやSNSなんか勿論まだない時代)や原画の収録、石森先生や芦田さんのインタビューなどファンにとってはアニメ誌を越える非常に貴重な情報源であり、仲間と語ったり出来る青春の場でした。ざっく

        出会い編・9〈きつね狩り〉の衝撃

          出会い編・その5

          で、「あなたも仲間になりませんか?」となるのですが、自分はまだ小遣いが少なくて年会費を払うのがきつい、と話したら、はざまさん(当時FCの中心スタッフをしていた方で、004好きが高じてドイツ語を習得するくらいのハインリヒファンでした)が「私の会誌を毎回貸してあげる」と言って下さり、その頃会誌「パラライザー」は確か5か6号くらいでしたが、その後11号くらいまで毎回はざまさんにお借りして(その都度郵便で送ってもらい、また郵便で返送する)読んでいました。入会はしていないのですが「なが

          出会い編・その5

          出会い編・その4

          「009見たい」という気持ちが恐怖に勝ち、確か2日連続だったかな、その上映会に行きました。 そしたら、まあたくさんの人が。いるわいるわ。009を好きな人がこんなにいるんだ!!という喜びの共有。夢のようなひととき。 2日目、朝入場列に並んでいたら「009ファンクラブですが…」というお姉さんがインタビュー(コメント取り)に来ました。思い返すとはざまさんとあきらさんだったと思いますが、違ってたらスミマセン。 009のファンクラブ!?! ファンクラブがあるって驚き桃の木山椒の

          出会い編・その4

          出会い編・その3

          なかなか昭和から抜けなくてスミマセン、続きます 当時の日本家屋は一般的に小さい平屋で、プライベートなどありません。多くの家庭がそうでしたが1つの部屋がリビング、ダイニング、寝室、うちは2人兄妹だったので兄との勉強部屋、を兼ねてました。チャンネル争い(懐かしいワードだな…)は熾烈で毎日バトルに次ぐバトル! そして勉強机でせっせとお絵かきしてる時に、たまに後ろから兄貴が覗き込み冷やかす事がありました。からかう方はほんの軽いノリなのは今はわかるんですが、私はたぶん物心ついた時から

          出会い編・その3

          出会い編・その2

          私の家は当時父親が上野でキオスク位の小さい本屋をやっていたので、結構な漫画の雑誌や単行本を持ち帰って来てくれて、当時としては珍しく漫画に触れやすい環境にありました。 週刊少年ジャンプ、マガジン(何故かサンデーはなかった。たまにチャンピオン。親の判断かな、どうしてこのチョイスだったかは今となっては不明…)週刊マーガレット、別冊マーガレット(何故かマーガレットのみ。たま〜に「りぼん」や「なかよし」を持って来てくれた時もありました)を1970年代はじめ頃から4、5年間 毎号読んで

          出会い編・その2

          出会い編・その1

          私たちが生まれた頃の日本は高度経済成長で自信を取り戻し、公害が社会問題になっても経済的に豊かになる方がはるかに優先されていた頃で、 本田は愛知県、長野は東京の練馬で育ちました。(本田の方が2歳年上) 東京都と愛知県は結構な距離があります。それがどうやって出会い、コンビまで組む事になったのでしょうか。 私たちを結びつけたのは、漫画と、アニメでした。 (長野視点なので二人の思い出のボリュームに差がありますがご容赦ください) 物心ついた頃に大流行していたのは「ウルトラマン」シリ

          出会い編・その1

          前置き

          姫川 明輝(あきら)は本田Aと長野S 二人で一人のペンネームです。 二人組だということは最初から公開してますが、当然ご存じない方もたくさんいらっしゃると思います。〝あきら〟という名前とか、画風があんまり女性っぽくなかったりするもので、素直に男性だと思われてる方もまだまだおられまして、ついこの間も「男の方だと思ってました!」とビックリされたりしましたw 「どうやってお二人で漫画を描いてるんですか?」という質問はよく頂戴します。海外のイベントにゲストで招待されると〝パネル〟と

          女二人少年漫画奮闘記

          ずっとずっとやろうと思っていて出来なかった姫川明輝ヒストリー。 マンガで綴りながらやってみようかとも思いましたが日々の仕事に追われてイントロからなかなか進まないので、新たにnoteで書いてみる事にしました。ゆるゆると気負わずに。 「合作やってみようか」で始まって、あっという間に30年以上が経ってしまいました。 昭和〜平成〜令和にまたがるなかなかの激動、それは漫画、アニメ、コミケ、ゲーム等々のメディア見聞録の歴史でもあります。我々は普通の漫画家ではあまりやらない珍しいこと

          女二人少年漫画奮闘記