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出会い編・その8 同人誌の始まり

我々2人は「パラライザー」会誌上のお互いの〝絵〟を通じて認識し合っていましたが、初めてリアルで顔を合わせたのは009FCの夏の総会でした。それまでに何度か手紙でのやり取りはしていたと思います。

初対面でどんな言葉を交わしたかは記憶にないですが、会の最後にこれで解散です〜となった時に、本田がたくさんの会員に取り囲まれてサイン攻めにあってたのはよく覚えていて「うわ、これはもう喋ることもできないや」と立ち尽くしてたら、本田が「もう一回抱き合おう・笑」と言ったので、初対面は多分ハグだったのかな。

時は昭和50年代後半。「宇宙戦艦ヤマト」から始まったアニメブームでファンの年齢も上がり、制作側も今までの「子供に向けテレビまんが」だけでなく様々な実験的意欲的な作品を作れるようになり、原作ものも松本零士作品など超人気でしたがオリジナルアニメも続々作られ、名監督が誕生し、今までスポットが当たらなかった〝アニメーター〟がスターになり、声優さんがスターになり、ファンはさらに熱狂する、アニメブームどんどん大きくなる、マンガが押されてくる〜!…そんな頃でした。

アニメブームと並行してもう1つブームとなったのが『同人誌』です。

同人とは元々は俳句など文芸の世界で発達したもので、石ノ森先生が主催した「墨汁一滴」も「漫画で同人を作る」のでタイトルは文芸っぽさを意識したものでした。「墨汁一滴」は肉筆回覧誌ですが「マンガ同人誌」の始祖です。

1980年代初頭、当時は好きなキャラクターや自分のオリジナルイラストを描いたら、人に見せるにはペンフレンドへの手紙に同封して送るくらいしか手段がありませんでした。もしくは雑誌の読者欄への投稿。もっと描きたい、もっと多くの人とこの想いを共有したい。学校の部活動でわら半紙のガリ版刷りで雑誌のようなものを作って文化祭でお披露目し、卒業したらそういう場所もないので、次は仲間を募ってサークルを作りサークル誌を作り、そうやって同人誌人口が増えていき、コミックマーケットもこの頃始まりました。今のコミケは個人申し込みが大多数だと思いますが、このころは数人〜十数人の「サークル」が主流でした。〝好き〟の仲間が欲しいから、というのもありますが、1人で印刷代を賄えないからというのも理由の1つでした。009FCは会員から集める会費で年6回会誌を刷っていましたが「印刷物を作る」というのは個人にはとてもハードルが高かったのです。(コミケで今でも参加者を『サークル』と呼ぶのはこのような歴史のためです)印刷技術もそんなにあるわけではなく、バリエーションをつけるといったら表紙の紙質や色を変えるくらいしかなく、インクは全て黒一色、というのがごく普通でした。

私はその頃高校生で、漫画家になるためにせっせせっせとひたすら漫画を書いておりました。アニメブームで漫画家よりアニメーターになりたい若者が急増していた時期で私もアニメが大好きでしたが「将来の夢は漫画家」という気持ちは変わらず、出来るだけ早くデビューがしたくて頑張っていたある日

FC仲間から「高校の同級生が漫研(漫画研究会)を始めるので入らない?」と誘われ、『SPRINKLE』(スプリンクル)という漫研サークルに所属することになりました。主催の新井聖子さんはとても繊細なタッチの少女漫画を描く人で、最初の会員は総数で5〜6名。作品の傾向はバラバラでしたが漫研ってそういうものでした。1号めに描いたのは16ページの短編。(原本が実家なので記憶スケッチで描いてみました)内容はというと『ベトナム難民で日本に一時滞在している少女が、縁側で小さな琴を弾いてるおじいさんと交流する』というお話。10代の女子が描くような内容じゃないですね^^; 当時の自分はシルクロード、中国、モンゴル、インドシナなどアジアの異国情緒に強く惹かれていて、近藤紘一さんの「サイゴンの妻と娘」シリーズを読みふけってベトナムに憧れを抱いており、そこからの着想でした。画面は一言で言ってたいへん地味で、素朴な感じでした。

当時のアマチュア達の間でイケていたのは、線が繊細でトーン使いに凝った大変派手と言うかゴージャスでキラキラした画風でした。自分はというとぐわぐわと太いGペン線で、昭和っぽさ…今で言うレトロな丸っこい絵で、全く垢抜けしてませんでした。それで、高校生の頃に「自分はカッコいい絵が描けるわけじゃないから、別の個性とか武器を磨かなければいけない」「それなら好きなものを自分の売りにしよう」と子供ながらに考え、決めたのが動物と民族・エスニックでした。動物はこの頃「うまくなるぞ」と決めて随分と練習しました。動物園に行ってスケッチしたり描き方本を買って1冊全部模写したり…。モンゴルのナーダムのようなお祭りで歳とった馬とレースに出る少年の話、とか。キルギス族の少女が家族を守るために白いラクダにお願いをしに行く話、とか。少年漫画誌に投稿するなら違うものを描いていたと思いますが、漫研に載せるものだったので商業誌を全く気にせず思いつくまま好きなものを描けて、良き時代でした。

そんな夢中になって漫画を描いていた頃、009FCでも独自に同人誌活動、漫研、アニメサークルをやる人が増え、会誌の掲示板コーナーに「原稿募集」「お仲間募集」「発行しました」などのお知らせがたくさん並ぶようになりました。そこに満を持して(?)本田の〈きつね狩り〉のお知らせが掲載されました。

「フエっ!本田さんの同人誌!?それは見たい、読みたい、手に入れたい」私は購入したいです、と本田に手紙を書きました。



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