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出会い編・その6

その頃私は東京住まいだったので、埼玉県の本部に出入りして会誌の清書(会員から届く手紙を全部手書きで清書して会誌にしていたのです)や発送の手伝いなんかもしていて、友達がたくさん出来ました。今でも続いてる友達が何人もおります。会誌「パラライザー」は2ヶ月に一度の発行で、レアなアニメ情報(インターネットやSNSなんか勿論まだない時代)や原画の収録、石森先生や芦田さんのインタビューなどファンにとってはアニメ誌を越える非常に貴重な情報源であり、仲間と語ったり出来る青春の場でした。ざっくりと書いていますが本当に沢山の時間をここで過ごしました。本部のスタッフさんたちは先輩で、学校は帰宅部でしたが自分にとっての部活はこのFCでした。

この頃の私は学校の集団生活に馴染めず苦悩の日々で、逃避するように009FCにのめり込んでいました。小学校時代は楽しくやっていたのですが中学に上がった時に色々とあってクラスで孤立してしまい、嫌われたりいじめにあったりして学校が苦痛でたまりませんでした。仲良しが二人だけいて、3人でいつもつるんで図書室などで漫画を描いたりアニメの話をしたり交換日記(なつい!今だとグループチャットですね)を回したりしてましたが彼女らがいなかったら不登校になってたかも知れません。中学で人間関係に大失敗したので高校では最初が肝心だと意気込んだら見事に玉砕。慣れないことをするものではない…、高校の印象は中学よりさらに薄く…ほとんど記憶にないです^^;;;とにかく十代は暗かった。思春期と反抗期が重なったせいか悲惨でした( ̄∇ ̄;;)

009FCはそんな暗い監獄から自分を救ってくれるコミュニティでした。たくさんの仲間がいて、毎週末何かしらの活動で寄り集まってとにかく楽しかった。ただ楽しいだけではなく色々な問題にも真摯に向き合うとても真面目な本部だったので、叱られる事もあったし議論する事もよくありました。思い返してもあの本部の皆さんは、10代とか、就職したてとか、今だったらまだまだ〝子ども〟なのに、実にしっかりしてたと思います。とにかくFCがなかったら私は多分完全に不登校になってたか、もっとヤバイことになってたでしょう。(この頃家族、家庭内の方も輪をかけてやばかったので…これ以上は割愛^^;)FCにいたおかげで社会から完全に離脱しないですんだのです。

そんなFC活動のメインは会誌です。集まるのはむしろサブで、会員は全国各地にいますので会誌が一番大切なコミュニケーションの「場所」でした。会員たちが意見やカットやイラストをたくさん投稿して来ます。みんな歳は似たり寄ったりですが、絵がとても上手い人が何人かいて、AMIEさんはそういう人の絵を編集で目立つ所に使いました。本当に山ほど投稿されるので全部が使われるわけではなく、没もあります。まるで雑誌みたいですが会員も会誌でそれを見るとまたハッスルして絵を書くわけです。

そこでとっても上手くてお洒落で目立つ絵を描く会員がいて、それが本田でした。

いつもHON☆とサインが入れてあって、最初は「ホンさん」と呼んでました。(なつかしい)

新作アニメが始まって程なく位の会誌から登場したHON☆さん。「この絵好きだ、タイプだ」とは思いましたが、初登場はそんなに上手くはなかったです。(後で知りましたがこの頃本田はまだ人間があまり描けない時期だったらしい?あと画材がまだ使いこなせていなかった)それが数ヶ月の間にみるみる、それこそみるみるうちに上手くなり、毎号驚き。しかも彼女は毎回スタイルが違う絵を描いて来る。ベースは新作アニメなのですが、あるときはデザインカット風だったり、ベタとホワイトの処理が統一されていたり、ジョーがディスコで踊ってる場面を巧みにカット化してたり、金田伊功さんばりのパース絵が来たり、女子が胸キュンな表情させるかと思うと少しギャグで親しみある描き方をしたり、次第にこれは「単なる絵」ではなくどれもみな〝アイデアがあるんだ〟と気がつきました。しかし一人の人間が画風をこんなに何種類も持っているのがとても不思議で、しかもそれぞれがみんな洗練されてて上手い。デフォルメが芦田さんのように非常にお洒落で、でも真似だけではなくて彼女ならではの「味」が強くありました。大人(自分も今は大人ですけど)にはわからない事かもしれませんが彼女の美味さと上手さは当時から「本物」だという確信がありました(自分はこういう事での〝本物とコピーの見分け〟には根拠のない自信がありまして)

しかし統一されてるテイストはやはり「カッコいい!」でした。若者の気持ちを一瞬で鷲掴みにするカッコよさ、美味しさがありました。

いつも新鮮で驚きがあり、みんな彼女が次にどんな絵を描いてくるか毎回ひじょ〜〜〜〜に楽しみにしていました。他にも上手い人はいましたが、彼女の絵はFC内で人気が高く、AMIEさんもとてもお気に入りでした。

[蛇足]私ももちろん毎回何枚もカット描いて投稿しました。その事に学校以外の時間のほとんどを割いていたかもしれません。出来はどうだったかというと、ま〜〜そんなに上手くはない、普通だったと思うのですが(本田は「上手かった」と言うのですけど)変な主張はあったので悪目立ちしてたんじゃないかと思います(^^;)

そう、姫川明輝の「出会い」はこの会誌「パラライザー」から始まります。やっと『出会い』来ました!時間かかってすみませんほんと。

1000人以上に膨れた009FCは関東はじめ各地域の会員が(関西、中部など)定期的に集会をやっていましたが、毎年夏に一回「総会」というものを開いていました。009で寸劇をやったり、ショートアニメを作ったり、ゲームをしたり、イラストを募集して展覧会みたいなコーナーを設けたり(この時本田が寄せて来た絵がまた素敵で最後は会員で争奪戦に…)けっこうな大きいホールが一杯になる位、総会には全国から仲間がやって来て参加しました。石森先生が遊びにいらしてゲームに参加して下さったこともあります。(ほんとにファンに優しい先生でした)

この夏の総会に「本田さんが来るって」と誰からか聞いたのか…じゃないな、当時もう手紙のやり取りをしてた気もします。

とにかく彼女が名古屋から東京に来るというので、私はその年の総会をとても楽しみにしておりました。ファンですな。「こんなシャープでかっちょ良い絵を描くのはどんな人か会ってみたい。描く人もかっちょ良いに違いない!」(と、勝手な想像)

そして1980年初頭の暑い夏がやって来ました。

この辺りの事はマンガで描いたことがありますので次回はそこから始めます。


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