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前置き

姫川 明輝(あきら)は本田Aと長野S 二人で一人のペンネームです。

二人組だということは最初から公開してますが、当然ご存じない方もたくさんいらっしゃると思います。〝あきら〟という名前とか、画風があんまり女性っぽくなかったりするもので、素直に男性だと思われてる方もまだまだおられまして、ついこの間も「男の方だと思ってました!」とビックリされたりしましたw

「どうやってお二人で漫画を描いてるんですか?」という質問はよく頂戴します。海外のイベントにゲストで招待されると〝パネル〟というインタビューQ&Aみたいなコーナーがよくありますが、毎回コレを聞かれます(^▽^;)  その次によく聞かれるのが「どこで出会ったんですか?」というご質問です。聞く人には初めての話ですから、何十回目でも出来るだけ初めて話すみたいにお話しします。ホントですよ!

HPやブログなど色んな場でこれらの事はよく語ってはおりますが、この場所ではその決定版といいますか、これを読んで頂ければ姫川明輝の歴史の大概がわかります!という連載にしたいと思っています。

執筆は主に長野が行いますので、長野視点で語る物語になりますが、片手落ちになっては面白くない場面も出てきますから、時々本田も登場するかも知れません。私達は2年歳が違いますから、僅かですが時代の視点にズレがあります。特に幼い頃の2年間はデカいですからね。

2人組の漫画家さんは結構たくさんおられます。一番有名な大先輩は勿論 藤子不二雄先生ですね。藤子先生の書かれた自伝に「二人で少年漫画ばかり描いてきた」という本があります。主に我孫子(藤子A不二雄)先生が執筆されて、各章の前書きを藤本(藤子F不二雄)先生が書かれてます。私は中学の確か二年生の時に学校の図書室で夏休みに借り、あまりに面白くて夏休み中読みふけり、その後文庫化されたものを購入し、何回も読み返しているくらい大好きな本です。かの有名な「まんが道」はこの本を書かれた後で始まったのですが、「まんが道」が割とシリアスめな青春劇であるのに対して「二人で〜」の方は語り口が大人で軽妙で、御大手塚治虫先生(と、我孫子先生が書いてます)始めいわゆる〝トキワ荘〟の面々の紹介がかなり面白く、戦後の漫画の歴史も俯瞰出来たり、私は幼い頃から漫画ばっかり読んでた子供でしたが、この本で知った〝漫画のこと〟はかなり多くあります。漫画家の自伝は手塚先生の「ぼくはマンガ家」や、石ノ森先生の「章説トキワ荘・春」、里中満智子先生の「マンガ愛してます」などなどひところ多く出版されました。大好きな漫画を描いてる先生がどんな人で、どうやって漫画家になったのかとても興味があったので中高生の頃盛んに読みましたが、最近はSNSもあるせいかそういう本ってないですね。そもそも、最近の読者は漫画家本人には興味ってあるのかなぁ。

ちょっと脱線しましたが、「二人で〜」の書き出しも確か上記のような質問を受ける、という所からだったと思います。つまりパクリ!?(笑)というのは冗談ですが(藤子先生スミマセン!)この本を読んだ頃には「将来は絶対に漫画家になるぞ」とは思っていたのですけど、まさか自分も二人組の漫画家になって「女二人で少年漫画ばかり描いてきた」文章を書くハメになるとは、人生の不思議そのものです。

藤子先生はコンビを組まれた少年の頃は絵柄がほとんど同じで、本当に一枚の原稿をお二人で合筆されてたそうなんですが次第に同じペンネームで別の作品を制作されるようになります。(「ドラえもん」「オバQ」は藤本先生、「プロゴルファー猿」「まんが道」は我孫子先生、など)年数が経つと作家性がだんだん際立って来るのでこれはごく自然な事なんですが、姫川明輝はマンガに関してはコンビを組んでから30年以上経ち「50肩で腕が上がらん」とか言う歳になってもまだ『合作』の形式で描いてます。これが珍しい事なのかどうなのかは自分達の事しかほぼ知らないのでわかりませんが、絵とストーリーに分かれて担当して描かれてる2人組の方もいますね。私達は、ストーリーも、絵も2人で描いています。

漫画は映画とかアニメーションと違うので一枚の絵の中に複数の人間がキャラクターを描くと結構目立ってしまうものですが、姫川の場合は多分違和感というものが全く感じられないと思います。これはどうしてなんでしょうか。というとちゃんと理由があります。そんな事も話の流れで明かされていくかも知れません。

長い前置きになりましたがどうぞよろしくお願いします(^^)ノ


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