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【ふるさとを語る】競馬の歴史 プロローグ1 ~馬の進化の軌跡を辿る~【歴史シリーズ】

🐴はじめに

こんばんは☺️。

前回予告した通り、今回は『馬の資料館』の様子をお届け!

…しようと思っていたのですが、より深く馬の歴史や人類との出会い、競馬の歴史をまとめたい思いがありますので、様々なサイトの画像や情報も織り交ぜながらお話して参ります!

資料数、筆者が撮影した写真枚数が膨大なため、幾つかのパートに分けてお送りしようかと!

⏬合わせて読みたい

~今回の流れ~

🐴種としての馬の進化の軌跡

🐴人類との出会い(世界編・日本編)

よろしければ、お付き合いください🙇‍♂️。


🐴種としての馬の進化の軌跡

現代においても、人にとって馬はなくてはならない大切な存在です。一体、いつ頃出現し、人と関わるようになったのでしょうか?

こちらでは、馬の歴史や人類との出会いをお話して参ります。

🐴馬の最古の祖先、ヒラコテリウム(エオヒップス)

最古の祖先、ヒラコテリウムの復元模型。かわいい☺️
画像出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/Prehistoriclifeman/20200211/20200211084643.png

時は遡る事、約5500万年前(かなり昔‼️)。北アメリカやヨーロッパに出現したのが『馬の決定的な祖先』『最古の祖先』であるヒラコテリウ厶です。

体高は35cm程と小型で、現代の馬と違って足の指が4本であったり、目が側面ではなく正面についているなどの違いがあります。

発見したイギリスの解剖学者サー・リチャード・オーウェンは「ハイラックス様の獣」という意味の、ヒラコテリウムという学名をつけました。

ハイラックスとはウサギ🐰やテンジクネズミ🐭に似た姿をした動物で、クルマの方ではないです😅。当初は馬の祖先とは見られていなかったようです。

そして後年の1876年のアメリカにおいて、ヒラコテリウムの骨格が遺伝的に馬に近いという事がわかり、馬の最古の祖先であると判定されました。


🐴ヒラコテリウムから、オロヒップスへ進化

オロヒップスの想像図。ヒラコテリウムに比べ、より現代の馬に近い姿になった事が分かる。
画像出典:Wikipedia『ウマの進化』より引用

約5000万年前、始新世中期にヒラコテリウムはオロヒップスへ進化します。

オロヒップスとは山の馬を意味する名前ですが、実際には山に住んでいなかったようです。

体のサイズこそヒラコテリウムと同程度でしたが、より細い胴体、細長い頭部、細い前足、長い後ろ足を持っており、跳躍力に優れていたと考えられております。


🐴エピヒップス

約4700万年前、オロヒップスはより大きな臼歯を持つエピヒップスに進化しました。

この馬についてはかなり情報が少なく、ネットでいくら画像を探しても見つかりませんでした💦。ご了承ください🙇‍♂️。


🐴より進化した、メソヒップス

メソヒップスの復元模型。現代の馬とほとんど変わらない姿をしている。
画像出典:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/pacalla-uploads/wp-content/uploads/2020/07/19010534/5fe5d90440b41e713143cc111437d3f0.jpg

そして、約4000~3500万年前の漸新生には、全ての足の指が3本へと進化し、体高50cmとより大型化したメソヒップスが出現しました。

学名の意味は「中ぐらいに進化した馬」というもの。まだ目が正面についていたり、草食性ではなく葉食性(木の葉や繊維の多い植物を好んで食べた)であるなどの違いがあります。

また、3本の指の内、真ん中の指が最も長く強大になっており、速く走る能力を備えた最初の馬とも言われております。

もうこの時点でパッと見の姿は現代の馬と変わりないように見えますね👀。


🐴メソヒップスから分岐進化した、ミオヒップス

約3600万年前、メソヒップスへの進化のすぐ後にミオヒップスは出現しました。当初、メソヒップスから段階的に進化したものとされていましたが、研究により分岐進化した事が分かっています。

今日ではミオヒップスはメソヒップスの亜種から進化し、長い間共存していた事が知られています。

メソヒップスは漸新生中期に絶滅したのに対し、ミオヒップスは長く繁栄し、中新世初期(2400~500万年前)に急速に様々な種に分化し始めました。

分化した種は草原に適応した種(カロバディップス)と森林に適応した種(パラヒップス)の大きく2種類に分けられます。


🐴葉食性から草食性に変化した、メリキップス

メリキップスの想像図。足の指が3本あるが、真ん中の指がより強大になっているのが分かる。
画像出典:https://tukimoto.com/gallery/wp-content/uploads/2017/08/38-a.jpg

約2500~2000万年前には、体高90cm(現代のポニーと同程度)とさらに大型化し、木の葉などを食べる葉食性から、草を主食とする草食性に変化したメリキップスが出現しました。

学名の意味は「反芻する馬」というもの。しかし馬は所謂反芻行為は行わない(メリキップスも現代の馬と同様の消化方法をとっていたと考えられている)ため、何故このような学名がつけられたのかは不明です🤔。

目の位置は正面から後方へ進化し、より広い視野を得られるようになり、頭部の構造は現代の馬と似たものになりました。


🐴プリオヒップスやヒッパリオン

プリオヒップスの復元模型。現代の馬の祖先とされている。
画像出典:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/pacalla-uploads/wp-content/uploads/2020/07/19011242/2ce5b9cc057bfb6320f4a2f83e0c2b44.jpg
ヒッパリオンの想像イラスト。体高は1.5mと大型。
画像出典:https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/94/0000168294/44/img52b511d5zik5zj.png

プリオヒップスは体高が1.2mほどの馬で、全ての足の指が1本指に進化し、より速く走れるようになりました。学名の意味は「中新世の馬」というもの。

また、ヒッパリオンはメリキップスの子孫であると考えられており、シマウマやロバの祖先であるとも言われております。学名の意味は「より良い馬」というもの。


🐴現代の馬の特徴を完全に備えた、エクウス

現在世界に存在する馬達は全て、エクウス・カバルスに分類される。
画像出典:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/pacalla-uploads/wp-content/uploads/2020/07/19013547/d9fa8540c806ccba01d9ca7377cf4ed7.jpg

プリオヒップスからいくつかの時が経ち、ついにエクウスという種類が出現しました。エクウス最古の種と言われているのがエクウス・ステノニスです。

約150万年前になると、現代の馬としての特徴を完全に備えた最初の動物とされるエクウス・カバルスが出現しました。

エクウス・カバルスの首は長く、目は顔の側面につき、蹄はハッキリと分かり、蹄叉ていさも備えておりました。

現在、世界に存在する馬達は全て、このエクウス・カバルスに分類されます。


🐴人と馬のかかわり(世界編)

こちらでは、人類が馬と出会ってからの歴史をお話して参ります。

人類が出現する遥か前に存在した馬。一体、人類が馬を利用する上で、どのような目的や背景があったのでしょうか?

『馬の資料館』において撮影した写真や、ネットなどを調べて集めた情報を元にお届け致します。

※『馬の資料館』の写真は、スタッフ様より撮影許可をいただいております。

🐴食肉用として

ウクライナのカルパティア山脈を写したもの。ご覧の通り冬のウクライナは厳しい環境である。
画像出典:https://beautiful-photo.net/wp-content/uploads/2021/03/Fantastic-orange-winter-landscape-in-snowy-mountains-glowing-by-sunlight-Dramatic-wintry-scene-with-snowy-trees-Carpathians-mountain-Ukraine-1536x1024.jpg

今から約4000年前に、ウクライナでは食肉用として家畜化されました。それ以前からヒツジ🐑やヤギ🐐、豚🐷、牛🐮が食肉用として家畜化されていましたが、馬の家畜化は遅れたそうです。

理由は馬は太りづらく、食肉用の家畜として適していなかったからなのだそうです。しかし、冬になるとヒツジ🐑や牛🐮達は雪の下の草を食べる習性がなく、家畜として飼育するのが困難な動物でした。

対して馬は、雪の下にある草を蹄で掻き分けて食べていることに飼育している人が気づき、馬の家畜化を思いつき、始まった経緯があるようです。


🐴搾乳して乳も利用されていた

意外に思われるかもしれませんが、搾乳され生活に利用されていた事も分かっています。搾乳、というと牛🐮やヤギ🐐をイメージしてしまいますよね。

時は遡る事、約5500年前のカザフスタンでは、食肉用の他、搾乳され乳が生活に使われておりました。

何故それが分かったかと言うと、カザフスタン北部にあるボタイ遺跡において、馬乳の脂肪分の着いた陶器が出土したためです。


🐴騎乗用として

ウクライナのデレイフカ遺跡では、食事のゴミとして出土する馬の骨とは違い、騎乗用として使われた馬の骨が出土しました。

騎乗用として使われた事が分かった理由は、大臼歯に摩耗が見られ、馬具が取り付けられていたのが分かった事と、その馬具が頭骨の近くで出土した事。

また、7~8歳の雄であった事も騎乗用であった事を裏付けています。なぜなら馬は4年ほどで成長が止まり、食肉用として利用するならば7~8年も生かす必要がないからです。


🐴馬と人とのかかわり(日本編)

『馬の資料館』所蔵の模型。
世界中に広く存在するお馬さん。当然の事ながら日本にも数多くの馬が昔から存在しており、数多くの方法で利用されてきました。

日本では、一体どのように人と馬が関わってきたのでしょうか?

🐴氷河期の終わり ~日本列島の馬が絶滅~

かつて日本列島とユーラシア大陸は陸続きであった。
画像出典:http://watasumu.blog28.fc2.com/blog-entry-314.html?sp

氷河期の日本列島には、ユーラシア大陸と地続きに野生の馬が存在しました。しかし氷河期が終わると草原が少なくなり、森林化が進んだ影響で草食性の馬は絶滅😱してしまいます。


🐴古墳時代 ~軍事用の馬が輸入~

古代の馬具の復元模型。
画像出典:https://plaza.rakuten.co.jp/randokku/diary/201905230001/
古墳時代の馬具の各部の名称が分かる。
画像出典:http://www.netpia.jp/history/kofun_bagu.htm
國學院大學が所蔵する、古墳時代後期に作られたとされる馬形埴輪。
画像出典:http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/kibutsu/大国主神の御馬の鞍と鐙/馬形埴輪/

古墳時代からは朝鮮半島より軍事用の馬が輸入され、九州から拡がり5世紀後半からは日本各地に拡がりました。そして古墳からも馬の骨格や馬具、馬形埴輪が発掘されるようになりました。

古代より東北地方に、蝦夷えみしと呼ばれる奈良や京都の朝廷に属していない民族が住んでいました。蝦夷は馬の扱いに長けた騎馬民族であったとされます。

その蝦夷人が朝廷に仕えた記録も残っており、そういった蝦夷人は俘囚ふしゅうと呼ばれました。

俘囚は朝廷に属していた人々に騎乗や騎射の技術を伝えたとされ、同時に馬の飼育方法も伝わって来ていたので、馬の大量増産が可能になったため、日本各地に拡がる事になったのです。


🐴奈良・飛鳥時代 ~通信用として~

駅馬と駅鈴(官吏が持っている鈴のこと)。
画像出典:http://hyakkaido.travel.coocan.jp/IMGP0036ekireitohayuma.JPG

奈良・飛鳥時代になると駅馬や伝馬てんまなどの通信手段として乗用馬が利用され、更には軍用馬として騎馬隊が活躍しました。

駅馬とは中央と地方との相互間の緊急情報伝達を主眼とした駅路・駅家・駅馬が備えてある駅制というシステムで使われた馬の事で、通信連絡の駅使や、一部の重要な官吏の旅行などの便宜を図るものでした。

また、伝馬とは伝馬制において用いられた馬の事で、使者を中央から地方へ送迎する事を主目的とした制度として想定されていました。

一部の馬が食用として利用され始めたのもこの頃とされています。


🐴奈良から平安時代 ~競馬の原点~

加茂競馬を描いた絵。
画像出典:Wikipedia『古式競馬(日本)』より引用

『日本書紀』によると、天武天皇8年(679年)の記事に良馬の俊足を鑑賞するために実際に走り比べを行ったとされる記事が存在し、そのころには競馬が存在していた事が分かっています。

ただしこうした鑑賞行事は祭会の際の走馬はしりうまとして別個の発展を遂げ、これとは別に馬の速さと馬術を競う宮中行事として、毎年5月5日の節会せちえ(端午の節会の事)に際して6日までの2日間かけて馬射うまゆみとともに行われるようになりました。


🐴平安時代以降 ~騎馬はサムライのステータス~

騎馬とまともな装備を身につけなければ、武士と認められず戦闘に参加する事すら出来なかった。
画像出典:https://mag.japaaan.com/archives/102019/騎馬武者・槍

平安時代に起きた徳政相論により、一般人から兵員を徴発する時代が終わると、地方行政府の依頼により軍事貴族や武士化した農民などが治安維持にあたるようになりました。

専業化した戦闘員達は強制的に徴発された兵とは違って、騎乗馬を用意し装備もキッチリ備えておりました。この頃から『武士』という言葉が使われるようになり、「武士=騎乗している戦闘員」という概念が定着していきます。

この概念は後の時代に引き継がれ、平安初期以降は戦闘は武士(=騎馬兵)がするものとされ、公式の戦闘は全て武士によって行われることとなります。

単純に腕っ節が強いだけでは武士として認められず、騎乗してそれなりの装備を身につけていないと戦闘にも参加する事すら出来ないという、武士という公的なステータスが出来上がっていった時代でもあったのです。

🐴

以降、長きにわたり馬は通信連絡手段や戦闘用、農耕用、競馬用、食用と広く利用され、現在に至ります(ムリくりなまとめ方だな😅)。


🐴今回のまとめ

🐴最古の馬は約5500万年前にまで遡り、様々な経緯を経て進化し、世界中に広がって行った

🐴約150万年前に、現代の馬の特徴を全て備えたエクウスが出現した

🐴人類により馬が利用されたのは(記録に残っている限りでは)紀元前にまで遡り、食用・乳用・乗馬用など世界中で広く用いられた

🐴日本においては氷河期後に一旦絶滅してしまった

🐴古墳時代から朝鮮半島より軍用馬が輸入されると、軍用・通信用・競馬用・食用と広く用いられる事になった

🐴とりわけ武士にとって騎馬=武士のステータスであり、騎馬とそれなりの装備がなければ戦う事すら出来なかった

🐴あとがき

如何でしたでしょうか?

今回は馬の種としての進化の経緯と、人とのかかわりをお送り致しました。この記事が皆様の参考や気づきになりましたら、幸いです🙇‍♀️。

現在利用されている馬の品種紹介や、競馬の歴史は次回以降を予定しております。

合間に息抜きにつぶやきや、別のジャンルの記事を投稿してしまうかもしれませんが、最後までやり遂げますので、見捨てないでね🥺。

それでは、今日はこの辺で🤗。

また会いましょう☺️。

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