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お風呂場で泣いたひな祭り


その日、わたしは、お風呂場に立てこもり「ごめんね、ごめんね、」と、おいおい泣いていた。

今思えばほんとうに滑稽な話しで、思い出すだけで苦笑いしてしまう。


当時、中学生だった息子は、ひな祭りに幼なじみのガールフレンドを数人呼んで、我が家でひな祭りパーティをするのをとても楽しみにしていた。それは数年来続く恒例行事だった。

手作りするのは、生ちらし寿司とうぐいす餅と桜餅。桜餅はとくに息子のお気に入り。

道明寺粉と砂糖と食紅とお塩、それらをいっしょにお湯に数分浸し、その後蒸し器で蒸す。蒸しているあいだに、皿に、市販の餡を好みの大きさに丸めておく。蒸しあがって餅状になったものを、適量熱いうちに手のひらにひろげて餡を包む。そして桜の葉を巻く。

最初のころは食紅のかげんがわからなくて、耳かき一杯くらいの量をいれてしまい、ピンク色がド派手すぎてとんでもない色にしてしまったことも。今は爪楊枝の上の部分にちょっとだけ食紅をつけてお湯に溶かすので、色味をちょうどよく加減できるようになった。

家族だけで食べていたときは、小豆から餡も作っていたけれど、ガールフレンドたちを呼ぶようになってからはたいへんなので市販の餡を使っている。

できたての桜餅は温かくて柔らかい。温かい桜餅は手作りならではの特権。ほんとうにおいしい。一口食べると、温かいお餅のなかから甘い餡がむぎゅっと口のなかにひろがり、桜の葉の匂いがしっかりと香ってくる。


息子は和菓子が大好物。

しかも、それらの一連の作業が大好きで、当日はわたしといっしょに桜餅を作るのを彼は毎年とても楽しみにしていた。

わたしは、料理は、作って「おいしい」と言われるのも嬉しいけれど、おしゃべりをしながら家族や友達といっしょに作るのも楽しくて大好きだ。

ひな祭りパーティの日は、うぐいす餅25個、桜餅25個を手作りし、生ちらし寿司は、いろいろな具材を大皿に用意して、こどもたちがそれぞれ思い思いに酢飯のうえに盛り付ける。顔に見立てて飾り付けるこ、彩りを工夫するこ、自分の好きなものだけのせるこ、と、子どもたちの個性が一皿にでて、それを見ているのも面白い。

学校のこと、先生の悪口、噂話、きゃっきゃっと楽しそうに、多感な頃のこどもたちがおしゃべりしながら、作ったり食べたりと毎年とてもにぎやかだった。そんな彼らとわたしもいっしょにいて楽しかった。


しかし、ある日のひな祭りの数週間前、わたしは自分の不注意で転倒してしまい、脛椎捻挫で首にはコルセットをする怪我をしてしまった。そのため1ヶ月くらいは、市販の弁当、スーパーの惣菜、パンでなんとか過ごしていた。そんな状況だから息子はその年のひな祭りパーティはさすがに諦めてくれた。

が、やはり、桜餅だけはいっしょに作って食べたいという。わたしは茶碗ひとつ持つのにも苦労するほどだったけれど、なんとかその気持ちに答えてあげたかった。


しかし。

ひな祭り当日は体調がすぐれず寝込んでしまっていた。

「作るって言ったよね?」

息子も機嫌が悪い。

わたしは謝って「しばらくは作るのは無理だから今度桜餅を買いに行こう」と言った。

それでも、ずっと彼はねちねちと怒る。楽しみなことが急にできなくなると気持ちの切り換えの難しいこだった。

その気もちもよくわかる。だってわたしもそういう子どもだったから…   でもいっぽうでここしばらくのわたしの状態を見て、もう少し気づかってくれたっていいじゃない!という苛立ちもあった。

それでも優しく「ごめんね」と言っているのに、「いつ作ってくれるのさ!」と延々に彼の愚痴りがとまらない。

なんだか情けないやら腹立たしいやら、最近の自分の身体の辛さやらがついに爆発した。

「だから作れないって言ってるでしょ!」と怒鳴ってしまい、だーっと涙が溢れた。

楽しいエピソードに水を指すことはしないようにしようと自分を制してきたのにこの有り様。

そんな姿を子どもに見せまいととっさに風呂場に駆け込んでしまった。そして「ごめん、ごめんね」と大泣きしてしまったのだった。

息子もお風呂場の曇りガラスの向こうで「ごめんなさい」と泣いている。わたしも泣きじゃくる。ただただ「 桜餅が作れない 」というだけのことで。


今はもう夫婦ふたりなので、ひな祭りパーティはしない。けれども、3月が近づくと、あのときの滑稽なエピソードといっしょに、息子が、行事があれば必ず我が家に、男の子、女の子と、たくさんの友達をつれてきて、「友達にごちそうして」と頼まれていた、にぎやかな食卓が思い出される。そのたびに思い出の灯火が、あたたかな気持ちにさせてくれるのだった。