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【ブルーロック×人的資本経営 第一章】互いを"食い合う"ことで成長する(馬狼照英のケース)

週刊少年マガジンで連載中の人気サッカー漫画、「ブルーロック」。

最近紹介を受けて読んだのですが、面白い。ファンタジー要素も多分にありますが、今の時代に必要な"エゴ"とはなにか、それを軸にした組織論という観点で読むと、かなり気付きが得られる漫画です。

今回は「エゴイズム」、そして「他人を変えることは可能か」、そんなキーワードで書いていきたいと思います。

第62話:「ヘタクソ」

主人公である潔世一は凪・馬狼とチームを組み、3 VS 3に挑む。しかし、この馬狼は圧倒的個人技と共に、自らを「王様」と呼ぶほどのエゴを持ち合わせており、潔にも凪にもパスを出そうとしない。

だが、それまでよりもレベルの上がったチームを相手に馬狼も個人技だけでは突破できず、相手チームとの点差は開いていってしまう。

前半、潔は馬狼を「生かす」べく、馬狼に合わせるプレーを心掛けたが、上手く行かなかった(パスは貰えなかった)。

ここで、潔は気付く。「合わせるプレー」は相手(馬狼)が変わることを期待している従属のプレーであり、エゴイストには見向きもされないし、仮にパスが来たとしても、そこで化学反応だと起こりはしない、と。即ち、

・思い通りにいかないのなら、自分が変わるしかない。
・どれだけ他人の心をノックしても、他人は変わらない。

・自分が変わり、相手を凌駕し、「喰い」、戦場を支配して初めて何かが変わる。

プレーの前提を大きく切り替えた潔は、馬狼からパスを強制的に「出させる」ことに成功。従属せざるを得なかった馬狼は屈辱に塗れるが、敗北を受け入れて覚醒し、更なる成長を遂げた後にチームを勝利に導く。

「察しなくてはならない」組織は、全員が不幸になる

急に紹介しましたが、これが今回題材にするブルーロックのエピソードです。

この漫画のテーマは「エゴ」。エゴを肯定し、エゴとエゴのぶつかり合いで生じる「化学反応」から唯一無二のストライカーを産む、「青い監獄(ブルーロック)プロジェクト」が舞台です。

日本では何かと否定されがちなこの「エゴ」ですが、グローバル7万人の大企業、複数の海外事業会社、そして100人超のベンチャーを経験した私として、個人にとっても組織にとっても、この「エゴ」は絶対に必要なものであると断言します。

なぜ必要不可欠なのか?

それは「察する」「察せられる」という行為を行っている時間が恐ろしく非生産的だから、です。仕事で例えるなら、こんなやり取りです。

A:「きっとBさんはExcelの勉強をしたいだろうから、このデータを組み立てて貰おう」
B:「いや、自分はプレゼン力を鍛えたいんだけど。。。とりあえずマクロ組んで返しとくか」
A:「え、いやいやマクロとか使えないんだけど。もっと簡単な形で返せよ!」

これは大分低レベルなやり取りですが、これに類することが日々発生している会社・人もいるのではないでしょうか?

人間、相手の思っていることなんて基本的に分かりません。それは肉親・家族だとしても。配偶者の「あれ取ってきて」、大体当たらないでしょう?

そうではなく、「この案件は俺がやり切るんだ」「俺はこれがやりたいんだ」「この領域は絶対に俺がNo.1だ」、、、そういったエゴを軸とした自己主張が日々なされていれば、パスする場所、角度、速度、高さを間違えることはありません。

「エゴ」≒「ベンチャースピリット」

今、我々が改めて大事にしようとしているのが「ベンチャースピリット」です。会社がどれだけ大きくなろうとも、我々はこれを忘れてはならず、忘れた瞬間に成長は止まります。

このベンチャースピリットの構成要素の一つに欠かせないのが「自責思考」。「自分がやる」というマインドを無くし、「誰かがやってくれるだろう」と他人に委ねて縋るような人に溢れる組織では、社会に変革を起こすことなどできません。潔世一の

「世界を変えたいなら、自分が変わるしかない」

というマインドをエゴとみるか、不遜に映るか、傲慢と考えるか、自責と捉えるか。それは人それぞれですが、私は「持つべきエゴであり、自責思考の現れであり、ベンチャースピリットの発露である」と考えます。

自分を自分の人生の真ん中に持ってくるという、一生命体として当たり前のことに対して「傲慢である」と捉えるのは、人間社会に過度に適合しすぎてしまった考え方ではないでしょうか。

エゴイストに塗れると、組織は上手く行かない?

私も前職でよく言われてきました。

「細田みたいに自己主張する奴ばっかりだったら、組織は回らないからなー。周りに感謝しろよー」

と。そして私もある程度納得していました。ですが、今は全力でこの意見(嫌味?)に対してNOと言えます

確かに、細田100人の組織はやばいです。私がどうこうではなく、モノカルチャー、モノファンクション過ぎて、直ぐに破綻するでしょう。私も細田が何人もいる組織では働きたくないです(笑)

しかし、「自己主張する奴が多いと組織は破綻する」ことはなく、寧ろ生産性は爆増すると信じます。理由は以下の2点。

①リーダーに「エゴ」「自己主張」は不可欠。エゴなきリーダーの下で組織は上手く行かない。
②「自己主張が苦手な人が、気持ちよく自己主張出来る組織」は夢物語ではない。そしてその方が生産性も幸福度も絶対に上がる(既述)。

エゴなきリーダーの下では組織は機能しない

先日のnoteにも書きましたが、「メンバーが目指したくなるような旗を立てること」が、リーダーの必須タスクだと思っています。

そして、この旗は「皆の意見を聞いて、その最大公約数で作った旗」であるはずがない。そんな目標はガラパゴスかつチープで、誰もワクワクしません。

周囲の意見を取り入れようとも
最後は自分色に染め、自分一人で旗を立てる。

この行為自体がエゴの発露です。リーダー不在の組織が大きな成果を出したという事例は私はまだ知らず、リーダーにはエゴが必要、つまり組織にエゴは必須、と考えます。

「自己主張が苦手な人だっている」に甘えるな

分かったように、この言葉を言う人がいます。ですが、人間が組織に所属していて、「自分のことを伝えたい」「自分のことをもっと理解して欲しい」と思う気持ちがゼロであることなど、あるのでしょうか

私もこれまで多くの方々と接してきましたが、精神的・技術的な理由で発信をしていないだけで、他者と繋がれることには皆さん多くの喜びを得ておられました。

「どんなメンバーも、自由に発言できる」、そんな心理的安全性が究極に担保される組織を作れば、細田だろうが佐藤だろうが、自己主張します。その多寡は違っても。

まさにここも自責思考であり、「彼が自己主張をしてこない、エゴを見せないのは自分のせいである」と考え、組織に対して何が出来るかを考える人間でありたいと思います。

愛とリスペクトとエゴが共存する組織にしたい

ブルーロックはあくまで漫画なので、「愛<リスペクト<<<<<<エゴ」となっています。

ですが、私はこの3つは高いレベルで共存するし、させなくてはならないと思っています。そして、ここで鍵になるのは「愛」の定義。私は以下のように考えています。

愛:相手の人生に真剣に向き合うこと
リスペクト:相手そのものを尊重すること
エゴ:自分の形を変えずに接すること

相手に迎合せず、相手を否定せず、その上で相手の人生に対して自分は何が出来るのか。これをメンバー間全員が考えている組織、想像するだけでも最高じゃないですか?

「経営企画」という言葉が肩書についている人間として、まずは自社でこれを実現していきたいです。

終わりに

住友商事時代は「金太郎飴にならないためにはどうしたらいいのか」ばかりを考えて過ごしていましたが、今回このブルーロックを読んで、この思考そのものがエゴイズムの発露だったんだなと納得しました。

ですが、実はもうこういう考え方をしている人がドンドン増えている気がします。エゴを大事にする、エゴを否定しない、そんな会社に人が集まっていますし、そんな会社が伸びています。

セルソースが大企業病に陥ることなど想像尽きませんが、絶対にそうならないよう、頑張ります。

では、また来週。

細田 薫

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