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きみは完璧な体。記憶。

 大事なことはいつも体が教えてくれる。頭が働かない、アイデアがでないときは肘を温めるとよいと言ったのは野口整体の野口晴哉だ。2か月前に人生ではじめてのギックリ腰になった。先週は風邪をひいた。詳しいことを書くつもりはないけれど、わたしはその体験で色々なことを考え、色んなことを辞めて、新しい自分に生まれ変わったような気がしている。風邪をひいて熱を出したくさん汗をかいている間、わたしはもっと自分の体を信頼できるようになりたいと思った。心配や不安からあれこれ手を出してしまう。このあとああなったら、こうなったらどうしようと頭が回ってしまう。だけど、体はそのとき最善の状態を作ってくれている。熱が出るならそのとき熱が必要なのだし、鼻水がでるなら鼻水として出したいものがあるのだ。わたしはそれを邪魔せず、スムーズに体がしたいことをさせてあげればいい。だけど、不安はすぐに知識や情報をひっぱりだしてきて「このままではまずいんじゃない?」という気持ちにさせる。わたしは、このすごい体のことも「自分」と呼んでいいなんてとてもありがたいことだなとぼんやり思った。ぶれぶれのわたしを、こうして生かしている。わたしはすごくないけど体はすごい。なのにその体も「自分」だなんて、なんて太っ腹なんだろう。

 松浦弥太郎さんの『エッセイストのように生きる』を読んだ。ブログを書きたい人、表現をしたい人、生活をより能動的に、創造的に生きたい人におすすめの本だった。書く場所があれば、日常で見つかるものが多くなる。出来事が多くなるわけではない。表現しよう、自分で考えようという意識があるだけで、たとえば5つの出来事に対して10個も20個も気づきやアイデアがうまれる。一冊の本を読んで情報を得るのではなく、さまざまな視点を得ることができる。エッセイを書くというのは、それだけでセラピーであり自分自身との対話である。この本にはそういう「表現する」「エッセイを書く」ということに関する大きな視点と、具体的にどう書くかという方法とどちらも書かれている。わたしはホロスコープの月星座と水星星座に焦点を当ててその人にあう表現や発信を提案するセッションもしているのだけど、それを受けてくれた皆様にぜひおすすめしたい本だと思った。エッセイを書くことは特別なことではなくて、日常を装飾し豊かにしてくれるメガネのようなものだ。そして脳の代わりに記憶し、何度でも見返すことができる宝箱、大きな日記帳のようなものだと思う。

 今期、わたしはアンメットというドラマが好きだった。一日が終わるたびに記憶を失う脳外科医の物語で、このドラマを見ている間、わたしは「覚えていること」「忘れないこと」について何度も思いを馳せた。わたしは自分が書いた文章を読むといつも「書いておいてよかった」と思う。頭だけではとても留めておくことができない記憶がそこに記されている。しかもそこには温度や感覚がある。強烈な体験と一緒に聴いていた音楽みたいに、記憶を再生してくれる。わたしはいつも、未来のわたしのために言葉を探している。言葉があってよかった。言葉は記憶のかわりになる。言葉はわたしを探すたすけになる。定義づけという意味ではなく、美しい言葉が何度もわたしを見つけてくれた。リルケについての難解な本を読んでいて、言葉の美しさ、言葉の限界、言葉の裏側、みたいなことを考えている。また考えがまとまったらブログに書くつもり。

体がアップデートされて、しあわせの感度があがった。わたしはとてもしあわせで、美しくて、嬉しい体を持っている。

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