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囚人体験 健診

 「24番」。私はそう呼ばれた。「24番」は、言われたとおりに会場内の番号が書かれた部屋を順番に廻っていった。ある部屋では上半身裸でお腹を壁につけさせられ、ある部屋では血を取られ、ある部屋では怪しい液体を飲まされ、台に乗せられた。廊下には矢印で部屋同士が結ばれ、次の部屋に迷わず向かえるようになっていた。廊下で前後の「23番」や「25番」も廊下で見かけはするものの、誰も話すどころか目も合わせない。会場全体で「話してないで、言われた通りにしろ!」と看守が目を光らせていた。

各部屋の看守も「はいじゃ、次の方」と、「24番」をモノのように扱っていた。ここでは固有名詞は必要ないらしい。私は「24番」なのである。囚人の固有名詞なんて呼ぶ必要もない。すべての部屋が終わると、独房や幸せの国、ガス室に送られるわけではなく、あっさり釈放された。

1週間後、1通の薄い封筒が郵送されてきた。中には「24番」の検査結果の数値が記載されており、各数値の隣にアルファベットが書かれている。コロナ禍の在宅勤務で不規則で運動不足だった私の検査結果はAばかりではなかった。BどころかCやDまであった。C判定の項目は「脂肪肝」。D判定の項目は「肥大型心筋症疑い」であった。

「肥大型心筋症?」

なんとも有機的な心臓のドキドキや、ジトーッとした手汗を生み出した。記号の意味を恐る恐る調べると、C判定は要経過観察、D判定は再検査であった。聞き覚えの無い「肥大型心筋症」をネット検索すると、こうあった。「肥大型心筋症とは、心室(心臓の下側にある2つの部屋)の壁が厚くなって硬くなる一群の心疾患です。無症状の場合の余命は3年程度。」余命は3年程度。目の前が真っ白になった。あっさり釈放されたが、解放されたわけではなかった。

気が付いたら申し込んでいた再検査は3週間後であった。この3週間は、今までの人生で一番自分の健康に気を使った。健康に有効と言われている方法を片っ端から取り入れた。酒をやめ、ポテトチップスをやめ、食事は毎回必ず30回噛んだ。夜更かしもせずに7時間睡眠。電車の待ち時間はプラットフォームで片足立ち。キャンペーン中の事務の契約し、毎日ランニングマシンで有酸素運動を行った。3年以内の死が頭をよぎった。話題になっていた本「シェリー・ケーガン氏の「死」とは何かイェール大学で23年連続の人気講義」を手に取った。「死ぬ前にやっておきたい25のこと」等のウェブページが視界に張り付いた。

自然とスマホのフォトフォルダを見返していた。子供の頃の紙のアルバムをめくった。喧嘩をしていた友人に、唐突に連絡をして謝った。好きだった子にラインを送った。

3週間後、再びその会場を訪れた。全身が緊張で強ばっている中、どうにかエコー付きの処刑台に身体を乗せた。担当看守が言う。

「綺麗な心臓ですよ!問題もありません。」

どうやら肥大型心筋症は誤診のようだった。死刑が一気に逆転無罪になった。全身の力が抜けた。安堵と共に、ジワーっと身体中が温まった。しばらくは起き上がれなかった。

釈放され完全に解放された帰り道、スマホを確認すると、返事が来ていた。友人は怒っていなかったし、好きだった子からも食事の誘いが来ていた。

完全に忘れていた脂肪肝は、再検査ではA判定になっていた。気付いたら完治していたようだ。生活習慣病は生活習慣を変えるだけで本当に治るらしい。健康診断の所見にさらっと書いてある「食事と生活を見直しましょう」は本当に有効な手段のようだ。肥大型心筋症で余命が3年程なのはネコであり、ヒトではなかった。

初めての囚人体験は、一時期ハラハラしたものの、結果的に私を健康にし、人間関係も改善した。今年も意を決して囚人になろうか。人生を感じ、好転させるために。

応募先

第8回「つなげる、やさしさ。」健診・人間ドック体験記コンクール

結果

選外