[若者必読]学びの質は、意識を変えるだけで飛躍的に伸びる
はじめに
あけおめ、あるいはことよろ。ひかっちゃです。今回は、若いうちから意識しておくべきことを皆さんに伝えていこうと思います。と言いつつも、ぼくはまだピチピチの19歳ですし、内容に関しては、社会人になれば誰もが気づくだろうことばかりなので、時間を無駄にしたくない優秀な方はブログを閉じることをお勧めします。あくまで、「学生が早いうちから意識しておくといいですよ。」ぐらいのイメージで読んでいってもらえたら幸いです。
ちなみに、いつもお馴染みのうらっちゃですが、年末のスノボ以来、極度の筋肉痛と体調不良に見舞われているため、今回は僕のワンオペとなること、深くお詫びいたします。年明け早々にアクシデントで幸先悪いですが、そんなうらっちゃからお詫びの手紙が届いているので、そちらを読んでいこうと思います。
「拝啓、愛しき人たちよ。あけまして、おめでとうございます。私うらっちゃですが、残念なことに年明け一発目の投稿に参加することができなくなってしまいました。自身の体調管理の至らなかったこと、深く、深くお詫びいたします。こんな私たちですが、2024年もよろしくお願いいたします。うらっちゃ」
なんか僕も悪いみたいになってて少し気に食わないですが、それは置いといて、皆さん!今年の一年もよろしくお願いいたします。
学びとは何か
それでは早速本題の方に戻っていきます。まずは、一番重要である「学び」について知っていきましょう。勉強と学びは違うと言われたり、「学ぶ」は「真似ぶ」からの派生だなんて言われたり、ネットで「学びとは」と調べたら、学ぶこととか出てきたりしていますが、そんなことはどうでも良くて、今回は僕自身が思う学びについて書いていこうと思います。
ズバリ、結論から申しますと、学びとは、人生のモチベーションです。これは一見伝わらなそうで結構伝わると思う結論です。例えば、新しいことを知ったときとか、今までできなかったことを習得できたときって嬉しくないですか。嬉しいですよね。楽しいですよね。ここがマジで肝なんですよ。実は人間って本質的には学ぶことがとても好きな生き物なんです。「本質的には」といった理由は、勉強になると嫌いという人が多いからです。でも実際人は勉強することでたくさんのことを学んでいますし、学びと同様に勉強も好きです。ではなぜ嫌いという言葉が出てきてしまうのか、そこにも答えはあります。
学びが好きな人間は、勉強をすることで躓いたとき、苦手かもと感じたとき、勉強と学びを壁で隔ててしまい、勝手に学びのハードルを上げてしまうことが度々あります。勉強から学ぶことが難しくなってしまうと、人は一時的に勉強が嫌いになります。なかなかできない勉強では、自分が何を学べているのかわからず、成長を実感できず、楽しくないからです。それでも勉強を頑張らなきゃと思う真面目な人間は、いつの間にか勉強することで学ぶのではなく、勉強をすることが目的になってしまうのです。この段階に差し掛かった人の人生のモチベーションはダダ下がりです。逆に、天才が生まれる理由は、勉強を他人よりも容易に理解することができるため、勉強から学べている実感、成長できている実感を得やすいからとも言えるでしょう。頭がいい人は勉強が楽しいとよく言いますよね。
だったら僕たち凡人はどうしたらいいのか。そこについては次のテーマで言及していこうと思います。
僕にしかない六つの神器
僕が凡人ながらも学びを楽しめていること、人生を楽しめていることには理由があります。それが、「六つの神器」の存在です。この六つの神器を意識的に活用することで、人間は学びの質を格段に上げること、つまり、人生そのものの質を上げることができます。そして、この神器は人によって数や性能こそ変わってくるものの、誰もが持ち得るものでもあります。それが、脳・目・鼻・耳・口・指です。これが僕の神器ですが、みなさんにはどうかがっかりせず、一意見として僕の話を聞いていただきたいです。
先ほど凡人はどうするべきなのかを伝えると言いました。期待していた方からすると、神器と言うほど大したものでもなく、普通すぎて残念に思われた方もいるかと思いますが、そこにこそ、凡人が差を埋めるためのヒントが隠されているのです。
まず大前提として、僕たちは時に僕たちの意識に反して、常に何かを感じ、何かを処理し、何かを学んでいます。僕の場合、その役立っているのが六つの神器なのです。しかし、ただ持っているだけでは何の神器にもなりません。それらが神器となるには明確な条件があるのです。僕たちが学ぶ時、その学び方は2種類あります。意識的に学ぶ方法と、無意識的に学ぶ方法です。ここで僕たちが注目しなければならないものは、無意識的に学ぶ方法です。なぜなら、意識的に学ぶ方法においては天才に勝てないからです。今回のタイトルに、意識を変えれば学びの質を飛躍的に伸ばせると書きました。要は意識して無意識的に学べばいいと言うわけです。人は、主体的に学ぶだけでなく、受身的に学ぶ必要もあります。
意識的に学ぶ時、人は脳・目・鼻・耳・口・指を自分の一部としてうまく使いこなします。しかし、無意識的に学ぶ時はそうではなく、自分の身体構造が一人歩きしてしまっていることがほとんどなのです。せっかく学んでいるのに、それを自覚できていないのです。これはものすごくもったいない話ですよ。ちなみに、意識して無意識的に学ぶ方法は別段難しいわけでもありません。だからこそ意識を変えるだけとタイトルで書きました。つまるところ、自覚できていない学びを自覚する努力をするのです。今までは学んでいるつもりがなかった状況でも、自分は学んでいるんだということを知った時、生きることが楽しくなります。なんか今日眩しいなと感じる時、晩御飯が何か考えている時、恋人のことを考えている時、ぼーとしている時、友達に肩を叩かれて振り返ったら頬に指がぶっささってうざいと思った時、暴走族のバイクの音がうるさいと感じた時、校長先生の話が長すぎる時、一人トイレで踏ん張っている時、これら全てのシチュエーションで僕たちは学びを得ています。今の人たちは、学びのハードルを上げすぎているのです。本来、僕たちの全ての体験・経験が学びになっていいはずです。そして、これは逆説的に言うと、学べるものはそこらじゅうに転がっているということでもあります。また、その認識が意識的な学びの質向上にも繋がるのです。
これらの話をしていると、これは学びの質が上がっているのではなく、量・時間が増えているだけだと思う方もいるかと思いますが、それは誤りです。このように一度学びのハードルを下げることで、人生のモチベーションを再興し、人間は今一度学びの亡者となるのです。そうして再び人間としての姿を取り戻した者、この核心を掴んだ者は、擬似的に天才となり得ます。天才と同じものを持っていても隣に並ぶことすら許されないのであれば、そもそも同じ使い方をしていてはいけないのです。みなさん一人一人に与えられた素晴らしい武器がボロボロになるまで使い込まれたのち、いつか最高の神器として輝くことを祈っております。
凡人におすすめの学習法 3選
では僕のおすすめの学習法を伝授していこうと思います。
気を使わない相手との会話
一つ目は、気を使わなくて済む相手との会話です。学ぶと言うと、自分より年上の人、自分より頭のいい人、自分より立場の上の人、などなど、とにかく自分より優れている人から学ぼうとする方が多いですが、学びにおいて、教わるのと教えるのはセットです。一方的に受け取るだけではいけません。しかし、日本人は文化的に自分より上だと思った人を敬いすぎる傾向にあるため、教わることはできても、教えることがなかなかできないのです。これは僕も含めての話ですけどね(笑)。だったらそれができる相手と会話すればいいのです。家族、友達、同期、お互いが対等だと思える相手などいくらでもいますよね。そのような親しい人との会話からも学ぶことを怠ってはいけませんし、学んだことは出し惜しみせず、どんどん教えてあげましょう。ただ、あくまでおすすめなだけなので、しっかり先生、先輩、上司などから学ぶことも忘れてはいけません。そして、できればこのブログを読んでいる方たちには、後輩から学ぶ姿勢ももってほしいです。それには、とにかく後輩と親しくなることが重要。目安は後輩から愛のあるいじりを受けるぐらいでしょうか(笑)。ぜひ、たくさんの人から学ぶことを意識して頑張ってみてください。
(人間)観察
お次は(人間)観察です。(人間)となっているのは、主に人間から学ぶだけで、それだけではないからです。動物や、植物などからも学べることはありますからね。学ぶが真似ぶから来ていると言われるのも、この観察の影響が大きいでしょう。真似をすることは、自分を成長させるのに非常に効果的です。人の学びを知識として取り入れるのが読書だとしたら、人の言動を知識として取り入れるのが観察です。この二つに共通するのは、インプットしたものをアウトプットすることが大切だということです。そのため、観察においては、ひたすた観察・実行・思考、この三つを行き来します。観察によりインプットしたものを、実行してみることでアウトプットし、得られた結果などをもとに思考することで、一度目よりも整理した内容を再度インプットします。
また、人間観察には思わぬメリットもあります。それはコミュニケーション能力の向上です。コミュニケーション能力が高い傾向にあるタイプの人間は、単純に性格がそうさせているタイプだけでなく、よく人を観察し、学びを怠らないタイプもいます。前者も後者も社会で通用するタイプです。違いとしては、前者が自分の世界観に人を引き込むのが上手いのに対し、後者は周りに合わせる、バランスを取るのが得意ということです。後天的にコミュニケーション能力を伸ばしている人は、たくさん人を見ている可能性があります。コミュニケーション能力は話しまくれば伸びるものではないのです。むしろ、見て、聞くことから入るのが正攻法とも言えるかもしれません。自分の発する言葉により、相手がどのように感じる可能性があるのかを把握していたり、相手の異変をいち早く察知したりできる人は、自然とコミュニケーション能力がついてくるものです。
お風呂でひとりごと&歌
最後はお風呂でひとりごと&歌ということで、急にふざけ出したのかと思うかもしれませんが聞いてください(笑)。
お風呂で声を出す理由としては、自分の声がよくわかるし、何より気持ちがいいからです。声に出すのはプレゼンの練習だったり、その日学んだことだったり、ムカついたことだったり、何でもいいのですが、とりあえず声に出しましょう。スッキリするし、発声の練習にもなります。歌に関しても、発声の練習やリズム感アップ、抑揚の付け方の練習になるので、とても良いです。僕は曲を流しながらお風呂に入っています。そして、最終的には、このお風呂でひとりごとをサウナと同じぐらい流行らせたいです。
まとめ
いかかでしたか。今回は学びについて触れていきました。年内一発目の投稿は、みなさんがこの一年を過ごすお手伝いになればと思い、書かせていただきました。自分自身勉強に苦しんだ過去をもつので、そのような方の心に響かせることができたら嬉しいです。今の世の中は知らなければいけないことが多すぎて大変ですよね(笑)。でも、このように情報に溢れているからこそ、生活が便利になったり、人間の学びに対する欲求を満たしていくことができるのです。食欲を満たすためにいっぱいご飯を食べるのと一緒ですね。この一年、みんなでたくさんの情報を食べて消化していきましょう。必要な部分は吸収し、そうでない部分はうんk、、、
この一年、みんなで素晴らしいものにしていきましょう!!!
これなんや