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【78】北国の空の下 ー 週末利用、自転車で北海道一周 26.5日目 コロナ禍の春、50代の転職活動、リハビリ…

ロードバイクでの北海道一周・最終レグのスタートまで、転職活動などの話にもう少しお付き合いください。
自転車や北海道が好きな方々よりは、早期退職を考えている皆さまの参考になれば、という話題提供です。

2020年3月。早期退職が認められたものの、能天気な世界漫遊計画は、新型コロナと右肘骨折により頓挫。当面はケガの治療と転職活動に邁進するほかにすることがない状況で退職日を迎え、そして静かな春が訪れました。

▼ 北海道一周 ここまでの記録はこちらです


◆ 新型コロナ禍の春

会社を辞め、静かな日々が始まりました。
ラッシュアワーの通勤もなく、仕事にこころ乱されることもなく。
しかし、丁寧な生活とやらを送ろうにも、右腕はいまだギブスを嵌め三角筋で吊ったままで、独り者には掃除・洗濯などの家事が一苦労。

そして、わたしの身辺だけでなく、町も静まり返っていました。

緊急事態宣言の発令により、小売店は軒並みシャッターを下ろしていました。朝夕の出勤の人波も消え、蔵づくりの街並みからも、喜多院や氷川神社からも、週末の賑わいが消えました。
新型コロナウィルスの正体がわからず、ワクチンも開発されていなかったこの時期、今思えば感染者数は微々たるものでしたが、得体の知れない闇に世界中が覆い尽くされそうな不安に、誰もがとらわれていたのでしょう。

そのような人間界の混沌とは関わりなく、今年も桜が開きました。
骨折のため自転車に乗れず、ジョギングもできず、唯一可能な有酸素運動は歩くこと。
川越で最初に花開く、近所の古刹・中院の枝垂れ桜や、それに続きほころびる蓮馨寺、喜多院、新河岸川などを、毎朝毎晩、散歩していました。

▲ 川越・中院の枝垂桜
▲ 新河岸川の花筏

そんなある日、いつもロードバイクで駆け抜けている道を、徒歩で辿ってみようと思い立ちました。
まず目指したのは、狭山・日高の里山を抜けて、高麗郷へのルート。
三角巾で腕を吊っていてはバックパックを背負うこともできないので、肩にかけたサコッシュにスマホと財布と日本手拭だけを入れて出かけました。

クルマと自転車では同じ道でも目に映るものが違うように、自転車と徒歩でも、五感に感じるものは全く異なりました。残土の山としか認識していなかった雑木林の中の塚に咲き乱れるスミレ。殺風景なグランドを埋め尽くす花吹雪。

このような重苦しい世の中だからでしょうか、里山のそこかしこに息づく生命を普段よりも強く感じます。

▲ 坂戸市の里山で
▲ 高麗神社
▲ 高麗郷・巾着田の堤防
▲ 巾着田の菜の花畑

その週末は、荒川の東岸を、鴻巣から大宮まで歩きました。この道も、もう20年以上前から、何十回と走っている道。しかし自分の足で歩くと、田園の中の祠や、トラスト運動で保全されている小さな谷地など、これまで視界に入らなかったものが見えました。

このほかにも、馴染みの道をあちこち、自分の脚で歩くことによって、身近な土地の魅力を再発見した、静かな美しい春でした。

◆54歳の転職活動

さて、のんびりとばかりしていないで、仕事も探さねばなりません。
まずは、エージェントと面談し、自分の経歴を棚卸しし、職務経歴書を作るところから。
書類応募は4月初旬から開始することにしました。
腕を骨折していてはワイシャツやスーツを着ることもできません。そこで、エージェントと話し合い、ギブスが取れてリハビリもある程度進むであろう、5月上旬に面接スタートとなるようなスケジュールにしたのです。

元の会社から紹介されたメインのエージェント以外にも、3社ほどに登録しました。

50代の転職では、応募して面接に進めるのは10件に1~2件の確率、それも収入大幅ダウンの覚悟が必要、と聞いていました。
わたしには特別な技能や資格もありません。海外駐在していたから英語が多少話せるとは言え、同レベルの話者は山ほどいます。
そこへコロナ禍による先行き不透明感が重なり、相当厳しいだろうと腹を括っていました。

そのような不安を和らげてくれたのは、エージェントからの三つの助言でした。

一つ目は、採用面接は企業側が求職者を品定めする場というだけではなく、求職者が企業を良く知るための場でもある、だから少しでも気になるところがあったら、遠慮しないで、まず書類を出してみれば良い、ということ。

二つ目は、少子化が進む背景下で事業承継が課題となっている企業や、次のステージへの成長のために番頭格を欲している企業は少なくないこと。特に、地方企業は大きな組織での管理職経験者を求めていること。

三つ目は、その素養として求められるのは、必ずしも専門性ばかりではなく、広く浅く色んなことをやってきた汎用スキルであること。

もともと地方移住に抵抗も障害もないので、これで、求職への精神的なハードルが下がったものです。

週2〜3日は、エージェントからの情報や求人サイトの確認を集中的にやる日と位置づけ。また、登録先のエージェントとのWEBミーティングもぱらぱらと入ります。これまでほとんど使ったことのないスカイプやZoomでの面談が、日常のものになりました。

話に聞いていた通り、書類を出しても「組織編成上の理由」とか「応募条件を満たしていない」とか「経歴に見合うポジションがない」など、婉曲に「あなた歳取りすぎ」という理由を提示されて、面接に進めない案件も、確かに少なくはありませんでした。
しかし、案じていたよりも反応は良く、ゴールデンウィークの前後には数社の書類選考を通過することができ、しかも、各社ともそれなりのポジションと収入を提示していただきました。

◆ リハビリと再始動

この間、4月中旬には右腕のギブスも取れ、肘を曲げ伸ばしするリハビリに移行。
骨折した肘だけでなく、右腕のいろんなところが痛んでおり、筋肉や腱があるべき場所からズレていたりするようで、慌てずじっかりと回復させる必要がありそうです。

担当して下さるのは、うら若き理学療法士。
まだ伸び切らない右肘の腱を優しくさすってもらい、もう片手で手首を優しく握って頂き、おじさん夢見心地のところ、ぐいっと肘を伸ばされ、そこからはひたすら苦痛に耐え…

次第に腕が伸ばせるようになってきた4月下旬のある晩、ローラーを引っ張り出し、久しぶりで古き相棒であるコルナゴ・プリマヴェーラをセットしました。
やはり、肘が完全に伸びないと自転車は辛い。肘まわりの各所に突っ張るような痛み。手首も、掌を伏せると内部で腱が捻転し引っかかるよう。手首を回すとパチンと何だかSSI機構のように正常に戻るのですが、そのせいか炎症が治らない。なので、ハンドル上部を持つことが、まだできません。
それでもまあ、しばらくぶりで、滝のような汗をかきました。

◆ ふたたび風の唄と陽光の中へ

4月26日、快晴の日曜。
今日はロードバイク復帰の日、と決め、コルナゴ・プリマヴェーラと共に通りへ。
とはいえ、どのくらい無理なく走れるのか、騙し騙し乗ってみよう、というレベル感ではあります。

走り出すと、耳元で風が唄い、サングラス越しに陽光が舞い踊ります。
ようやくまたサドルに乗れた歓びと共に、馴染みの上尾・北本の道を走りました。

やはり、右肘の骨折箇所の鈍痛に加え、腱を痛めている手首、腕を固定している間に硬直しておかしくなってしまった上腕三頭筋、そのほかあちこちが痛み、本調子には程遠い。
骨折した箇所以上に、重度の捻挫を負った両手首の影響で、ブレーキングやシフトチェンジに不安が残ります。急ブレーキを必要としないよう、スピードは控えめに。
わずか50キロのライドで、背筋と股関節がもう限界。帰宅後に自宅から徒歩5分のスーパーへ買い出しに行くのすら大儀で、骨折から2ヶ月間での体力低下を痛感させられました。

その翌日は高麗へ。
前日よりも、ずっと楽に走れたことに驚きました。
以後、無職の特権で、天気さえ良ければコルナゴのペダルを踏み出していました。
1週間後は復帰後初の100キロ走破。5月に入り、早くも気温は30度。怪我をしていた最中の運動不足で、体重はベストを5キロ近くも上回っており、最後はバテバテでした。
しかしそのさらに1週間後には、群馬県へのセンチュリーライドに挑戦。新緑が風に騒ぎ、路上に落ちる木漏れ日が揺れる武蔵丘陵を、よれよれで走って帰ってきました。

▲ 熊谷の田園地帯
▲ 行田・忍城

春から初夏へ。古い相棒・コルナゴプリマヴェーラと走り込んだ1ヶ月で、次第に体力も戻ってきました。
早く再就職先を決めて、再び北の大地へ、走りに行きたいところです。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました。次も、もうちょっとだけ脱線して就職活動の結末について、そしてやっと、1年3ヶ月ぶりの北の海辺への旅路について記したいと思います。よろしければ、続きもお読みいただければ幸いです。

わたしは、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、そのほかの自転車旅や海外旅行の記録などを綴っています。宜しければこちらもご覧頂ければ幸いです。












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