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人が好き、けど苦手

僕は一瞬を求めている。
なにか素晴らしいものにであった時、胸の中で何かが弾けるような、それからの映る世界の色を変えてしまうような瞬間を待ち望んでいる。

例えば人との出会い、あるいは小説との出会い。
僕は人が好きで苦手だ。
本来、僕はさみしがり屋で誰かの温もりを常に求め続けている人間だ。
だけど、誰かとずっといると、不意に一人になってしまいたくなるような面倒な性格をしている。
だから、僕は小説が好きだ。
僕は人と話をするのが好きで、気が合う人とは何時間でも話してしまえるような人間だ。
よく学生の頃は、帰り道の公園で親しい友人と日が暮れるまで話をしていた。
将来のことや倫理的には間違ってることについて語ったり、世の中のおかしなところを探したりして生きていた。
そういう時間がすごく好きで、話しているときも、このままどこまでもこの時間が続けばいいのにと、考えていた。
人と話していると、その人と全身を神経を共有したような瞬間が訪れる。
自分が理解されたと同時に、相手を理解できたと感じることができるようになる。
そういう瞬間が好きだ。
だけど、日常でずっと人とあっているのは疲れる。
そんなときは小説を読む。
小説は誰かの手によって作られる。
その人の言葉が物語を作って、その人と同じ景色を見せてくれる。
小説のセリフや地の文で、僕の頭の中にあったように思える言葉に出会えると、とてつもなく嬉しくなる。

僕はきっと人の深いところに触れることが好きなんだと思う。
人と話すこと時は、目の前にいる人間と魂の奥深くに近づきたいと思っている。
そういう人間の営みを感じるのがすごく好きだ。
話すことは直接感じること。
だけど、それはすごく体力もいるし、タイミングもあるから難しい。
小説は人の営みを間接的に感じることができる。
いつかの記事にも書いたけど、僕が廃墟を好きな理由の一つに、人の営みの名残を感じるからだと書いた。
直接人と触れることはないから、僕を焦らせない。
自動販売機も似たような理由で好きだ。
誰かが補充したものを、長方体の機械を経由して購入するということが、時折愛おしくなる。

やっぱり、僕の根本はさみしがり屋なんだと思う。
誰かの温もりを感じようと毎日必死なんだろう。
だけど、面倒なのはこの寂しさも好きなところがあることだ。
感傷的な気持ちには、過去になった人は必要だが、現在の人はいらない。
感傷は一人だけで浸るのが心地いい。
今までの自分が歩いてきた軌跡に、自分が積み重ねてきた他人との営みに、切ない想いを馳せて文章を綴る。

やはり僕は人が好きで、苦手なんだ。
こんな面倒な性格に生まれてしまったことを悔やむ。
しかし、そういう星のもとに生まれてしまったのだから仕方がない。
自分に期待はしていないが、自分が好きだ。
しかし、唯一自分を信じられることがあるとすれば、これからも自分なりに、前を向いて生きていってくれるだろうということだけだ。
僕はそういう星のもとにも生まれている。
ひねくれものだけど、これから先も自分と生きていこう。
知らない自分を知って、どんどん好きになっていこう。
だって好きな人の好きなことは沢山知りたいもんね。

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