ハゲ甲斐のない青春時代

今回は、私の壮絶なるハゲにまつわる過去のお話です。

「最近ハゲてきた!?」とか、「周りからハゲてるねぇ!」などと言われたり、いやいやすでに「ハゲてるよ!」と悩んでる方に向けてお届けしたいと思います。

私はあなたの髪の毛を増やすことはできません。ただ、この文章を読むことで、容姿にとらわれない生き方が共有できればと思い書きます。

この話の構成は、

【①過去の追憶】

【②ハゲ商売くそ食らえ】

【③豊かにハゲる人生】

となっております。

ではさっそく私の過去を暴露しましょう!!


【①過去の追憶】

時はさかのぼること約20年、当時の私はウキウキの高校生活を営んでおりました。その某高校は滑り止めの私立学校。いわゆる頭が悪くても入学できる学校です。その反面、校則が厳しい学校で特に「髪の毛」には先生たちの猛烈なる想いがあったのです。

定例の頭髪検査。それは一ヶ月おきに開催される、先生たちによる美容の真似ごと。その日の直前に私たち生徒は髪を切り、髪を黒に戻し、パーマをより目立たないようにセットして学校へと向かったものです。

「耳に1㎜でもかかったらアウト」「眉毛に髪の毛は当たってはいけない」「後ろ髪はシャツの襟にかかっていないか」「髪の毛は染めていないか」「ピアスなどは空けていないか」「パーマはかけていないか」など1人ずつ余念なくチェックする先生。

そして無事に合格すると、その日からまた髪の毛いじりが始まるのでした。自他共にバカな学校と認識している場所で、何一つ誇れる物事がない私たちは、そうやって見栄だけを立派にすることに一生懸命。すべての関心が髪、ファッション、遊びに集約されていた時代でもあります。

そんな学生生活を送っていた高校3年のある日、クラスメートから「お前ハゲよるばい」と言われるように。

「ハ・ゲ」

「そんなのいや」


もちろん始めは信じるなんてことはなく、反射的に「ハゲるわけがなかやんか」と気にもとめませんでした。

しかし・・・。

次第にそのほかのクラスメートからも、「ハゲ」「ハゲ」「ハゲ」「ハゲ」と合唱が起きるようになり、これは本当に「ハゲちゃった??」と気になるように。家に帰れば手鏡で頭のつむじをチェックする日々。

「うゎ、マジで髪の毛が薄くなりよるかも!?」

そんな自己暗示を繰り返すうちに、周りの仲間からの言葉に反論する気持ちも滅入ってしまい「かぁ~。10代にしてハゲか。もうどうしよう。」と悩むように・・・。

それからというもの毎月の頭髪検査では、ほかの生徒のつむじ付近を穴が開くほど凝視するようになりました。そして「自分のつむじは確かに薄い」「髪が細くなってきた」「やっぱりハゲよる」と自覚するように。

そしてある日のこと。美容院でこの悩みを打ち明けると、「う~ん。若い子はオシャレするけんハゲるとよねぇ~」と背後から髪を見ながら言われました。まるで薄くなったつむじから心臓めがけて突き刺さるような衝撃が走り、「プロにさえハゲ認定されてしまった。」と落ち込んだものです。

結局、私の学生生活はハゲという呪縛から逃れることはなく、ハゲというコンプレックスとともにありました。それでも時は過ぎるもので学生時代も終わり、卒業して数ヶ月で九州を飛び出し関西へと独り立ちすることに・・・。


【②ハゲ商売くそ食らえ】

私は工場労働者となり、会社規定の制服に帽子をかぶるようになりました。仕事中に帽子をかぶるということは私にとっては何よりも心強い武器。誰からもハゲを確認されることもない。とても安全な環境で生きれることに極度の安心感を抱いており、裏を返せば極度の帽子依存症に陥っておりました。

入社して数ヶ月もするとお金が貯まるようになり、やりたいことも何もなかった私は、そのお金を使って「ハゲ治療」をすることに決意しました。関西にいる内にハゲを治して、また地元に帰りたいという思いを胸に駅の近くにある「リーブ21」へ。

初めての専門的なハゲ収容所。そんな場所に19歳という若造が入店する。その異様さは当時の私ですら感じておりました。だってハゲてるという悩みを解決するために、勇気を持って誰もが入店し治療を受ける場所なんですから・・・。ハゲ以外は入店しないということは、ハゲてるから入店する。ってことは、入店する自分は「ハゲじゃん」と自認せざる得ない。そんなことを自問自答しながら雑居ビルのエレベーターで上空へと向かうのでした。


そして暗澹たる気持ちでリーブ21の店内に入る瞬間、「私はハゲです」というプレートを遺影のように胸に掲げているようで、本当に憂鬱な気持ち。

でも、そんな自分に前々から言い聞かせていたこと。それは「ここでの恥を我慢しよう、今のすべてを捨てよう、そして地元でハゲていない自分をみせていこう」と本気で信念しておりました。

入店とともにチャイムがなり、すぐさまリーブ21の独特な店内の匂いが鼻を刺激しました。その匂いの正体は、頭皮に塗る液剤のようでした。

出迎えてくれたのは女性。その時は「受付の方かな?」という感じだけでした。そこで問診票を書き、ハゲが気になっているという不安などを記入。書き終わってしばらくが経ち、スタッフに呼ばれいよいよ店内の奥へと通されることになりました。

そして驚きました。

そこで働いているスタッフは、いと美しい女性ばかり。もうメンタル崩壊です。ただでさえ恥ずかしいのに、綺麗な女性に見られ診断される。ケツの穴を見られるより恥ずかしく、逃げたい衝動に駆られました。とはいえ、つむじの穴は見られるより他はなく、美人のお姉さんの香りを堪能することに意識を全集中。はい。ただの変態へと化したのです。

しかし、この悶々とした気持ちは見事に跡形もなく吹き飛ぶことになりました。「あなたはハゲ」という検査結果により・・・。


もちろん覚悟はしていたので「やっぱりか・・・」という感情でした。10代にしてハゲ確定、「人生終わったな」と悟りの境地に立たされた思い。この事実は墓場まで持っていく覚悟をして、治療生活という新しい生活に意欲を燃やすことに。

当時の正確な金額は忘れてしまいましたが、髪の毛を生やす治療コースで200万以上のローンを組んだと思います。今になればそんなことにお金使えないですが、その時はお金よりも、ハゲという事実の方がはるかにウェイトが重く、きっといくらであってもローンを組んでいたと思います・・・。


ということで余談になりますが治療内容を少し書いてみます。リーブ21から渡された治療キッドには液体や機械が入っていました。日々の日課は、仕事に出勤する前と帰宅して就寝する前に、必ず頭皮に液体を塗って微弱電流がながれるマッサージ器により頭皮マッサージ。また日々の食生活を改善するべく、酒・たばこはなるべく避け、毛根によりよい栄養が届くような海藻類などを積極的に摂取するようになりました。

そして定期的に駅近くのリーブ21へと向かい、女性スタッフから頭皮のチェックとケアをしてもらい、自宅で使う液剤がなければもらって帰るという日々を淡々と過ごしておりました。


家に誰も入れることなくリーブ21へ行くこともバレなければ、このハゲ治療は秘密裏に成功する。それだけを信じていましたが、毎月のローンの支払い金は多額のものでした。

しかしそんな生活から数ヶ月後のこと。金欠を嘆くようになった私を不信に思った同僚の方から「お前は何にお金使ってるんや??」と聞かれ、とうとう墓場まで持って行くはずの事実を他人に打ち明けることになりました。この時、私の人生が大きく変わった歴史的な瞬間となり、まさに「その時、人生は動いた」のです。

その方は僕よりも8歳も年上の方で懇意にしてもらっていました。そしてハゲ治療をしていることを恥ずかしさMAXでカミングアウト。その方は「ちょっと見せてみぃ、え??お前ハゲてへんで??」と真剣な表情で言ったのです。

私は高校時代のクラスメートなどから「ハゲよる」と言われ、美容師のおじさんからも「ちょっと来てる」と言われ、ハゲ治療のプロ会社から「ハゲ認定」をされたのに、目の前の先輩は「ハゲていない」と言う。もう瞬時にパニックへと陥りました。

そしてある行動をとるように促されました。その先輩のことを信頼していたので、彼のいうように行政書士へ相談することに。その後、その行政書士の方と一緒に皮膚科へ行くことになりました。その皮膚科は、ハゲているかどうかを診てもらえるところで、行政書士の方が探してくれた専門機関のような場所。

そして、その皮膚科の先生は「企業は金儲けが目的だからねぇ」と言い、「君はハゲてないし、遺伝的にもハゲる心配はない」という診断を下したのです。その後、行政書士の方とその診断書をもとに「内容証明郵便」をリーブ21の社長宛に書きました。

その内容は、「私はハゲていなかったので、治療コースは即時解約、さらにこれまで治療費としてお支払いした金銭を全額返金してください。」という主旨でした。こんなことをテレビCMでも流れるような大企業の社長宛に出すと、のちのち暗殺されるんじゃないかと無知ゆえに本気で考えていました。

そしてその後、私と行政書士の方、リーブ21の数名で面談が行われることに。事実上は、行政書士の方と会社側との「大人のやりとり」が繰り広げられました。私は目の前で飛び交う難しい専門用語についていけず、「これが大人の力なんだな」と自分の無知を生まれて初めて心底恥じました。

行政書士のお力により無事、リーブ21に支払った全額が返金され、日々のルーティーンだった頭皮マッサージや定期的に店に行くという苦行から解放されることに。そして私は、つむじが薄いことも、髪の毛が細いことも「個性」と理解し、髪の毛をいたわる生活を以後送っております。


【③豊かにハゲる人生】

私をハゲ地獄から救ってくれたのは、当時の同僚A氏。問題が解決してからというもの、私はA氏の言葉をより重んじるようになりました。彼の言葉で一生忘れない言葉があります。「お前なぁ、オヤジになってハゲてへんけど頭がスッカラカンの人間と、頭はハゲやけどしっかり物事が詰まってる人間、どっちになりたいんや?」です。

私はこの言葉を自分で咀嚼する中で、ハゲでも頭に詰まったオヤジを目指すことに。私は滑り止めの高校卒で、ずっと勉強とは無縁だった生活から「変わる」決意をしたのです。まずは日本語からの勉強が始まりました。なぜなら小説などは作家志望の人が読むものだと本気で思っていたし、読書なんて根暗な人の娯楽に過ぎないと軽蔑すらしていたのです。だから、読み物として読んだことがあるのは『浦安鉄筋家族』や『ろくでなしブルース』などのマンガだけでした。

そして私が生まれて初めて自分のお金で買った本、それは漢字がたくさん載ったものでした。しかも、小学低学年が勉強する程度の漢字です。そこから漢字を学び、字を書くということを学び没頭するように。そして、21歳の時に日本大学通信学部国文科に入り、国語の教師を目指すことに。大学3年目で中学の母校で教育実習を行い、あとは教員免許取得と大学の単位取得のみでしたが挫折することになってしまいましたが・・・。

工場勤務から飲食、農業へと職種を変えて現在に至りますが、見栄だけをはることに一生懸命だった10代とは人間がまるっきり変わりました。10代はギャンブル中毒で、酒にタバコに囲まれた人生。自分自身にも、将来にも何一つとして希望なんか持っていない、ただ今を生きている一個体。そんな人間でも、時として「人生のターニングポイント」を迎える。

「若いのにハゲ」という衝撃的な青春時代を送り、現在はなお「頭の詰まったハゲ」を目指しております。ハゲは悩みに値することではありますが、人間として最も大事なことは、私にとっては頭の中身。

あなたがもし、以前の私のようにハゲに思い悩んでいるなら自分に問いかけてみてください。

「あなたは見た目だけを重視しますか?それともハゲは個性として認め、中身のある人生を歩まれますか??」




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