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東日本大震災から13年 巨大津波の犠牲者になった人の為にも、あの日を忘れてはならない

こんにちは、Hideです( ; ; )

今年も、3月11日が来ました。

毎年、この日には鎮魂を込めて記事を書いています。

あの日から13年が経過しました。

今年2024年元旦に、能登半島地震が起こり東日本大震災と同様の被害が出ました。

私も被災経験のある者として、心よりお見舞い申し上げると共に、亡くられた方とそのご家族の方達にも、心よりご冥福をお祈り致します。

巨大津波で大切な家族や友人を亡くしてしまった方の悲しみもまだ消えていないでしょう。

現在迄、2011年3月11日の大震災で亡くなられた人数(関連死含む):19702名、行方不明者:2520名

東北特に宮城県は頻繁に起こる震源地が近いので、何度も大きな地震に遭遇してきましたが、これほどの規模の揺れと巨大津波は初めて体験する出来事でした。

私は震災発生時は、内陸にいて直接津波には被災することはありませんでしたが、あと30分仕事が早く進んでいれば、亘理という場所にいたかもしれないので、タイミングによっては津波に遭っていたかもしれません。

あの日(平日金曜日)、あの時間(14:46)発生した地域に住んでいれば、誰が津波に巻き込まれても不思議ではなかったです。

決して他人事ではなかったのです。

私は、丁度遅い昼休憩をとっていて、ラーメンを注文したばかりの時でした。

近いうちに必ずくると言われていたので、心の準備はある程度ありましたが、凄いエネルギーで揺れている力を感じたし、その後にくるとは思っていた津波も予想外の大きさでびっくりしました。

宮城県南三陸町の防災庁舎 震災直後の画像 現在は震災遺構として残されています

あの発生時の地震の状況と、その後の不便な生活を強いられた事は、今でも鮮明に憶えています。

うちの自宅から、それほど遠くない場所で何人もの方が津波の犠牲で亡くなられました。

10〜20mの津波なんて、テレビや映画でしか起こらないものだという固定観念は、見事に打ち砕かれました。

自然の脅威の前では、ハイテクと呼ばれる現代の最新技術を持ってしても、何も出来ず自然の凄まじさを痛感した出来事でした。

2011年3月11日 岩手県宮古市を襲った巨大津波 車が巻き込まれている様子 物凄さを感じます

この出来事は決して忘れてはいけないし、震災後に生まれたうちの孫等にも、この出来事と経験は語り継いでいかなければならないと思います。

今は、YouTube等映像でリアルに感じられるので、後世に繋いでいくという意味では、貴重な素材になっています。

同時に、今生きているという事への感謝の気持ちが芽生えたのもあの日からです。

地震発生直後から、頻繁に起こる震度4クラスの余震、電気や水道、ガスといったインフラが全滅でしたので、復旧までのもどかしさと不便さを体験し、いつも当たり前だった日常がどれだけありがたかったかを知る事になりました。

当時46歳だった、私の人生においてこれ程まで、生命の危機を感じた事と、日常にあった全ての物へのありがたさや感謝を身を持って感じることが出来たのは大きかったです。

最近、日本各地で起こる地震、島国である我が国日本では、避けられない自然災害です。

首都直下地震や南海トラフも、必ずやって来ます。

いつ起きても慌てること事の無いように、心の準備と食糧などの備蓄を、是非怠らないで備えて欲しい、というのが被災経験のある私からアドバイスです。

宮城県石巻市大川小学校 2011年3月11日 避難の判断を誤り児童・教職員84名が犠牲になった

当時、snsも大いに役立ちました。

そんな時こそ活用すべきで、くだらない誹謗中傷やデマを流す為にある物では無いのです!

あの日の出来事を忘れず、今後起こる地震災害に活かせれば良いと思っています。

仙台市内では、海側の住宅地では、町を走る県道は逃げる時間を稼ぐ為、嵩上げして高いどもりをしましたし、震災タワーといって、津波発生時の急場を凌ぐ避難場所として避難する高い建物が作られました。

宮城県仙台市若林区の津波タワー 東日本大震災でこの近くの荒浜地区で多くの津波犠牲者が出た

地震に限らず、自然災害が起こった時、一人でも多くの命をが守られる様に、一人一人が防災への意識を持つ事が大切です。

岩手県海沿いの三陸地区には、何度も津波被害に遭った教訓から「津波てんでんこ」という言葉が、先祖代々祖先へ語り継がれています。

*津波てんでんこ、というのは、明治三陸津波で、町の住民の8割が亡くなってしまい、代々続いていた家系が途切れてしまい、未来への社会構造にも大きく影響を及ぼす、との考えから、とにかく津波が来たら「津波が来るぞ〜みんな高台に逃げろ〜」と叫んで、周りには目もくれず、一人一人とにかく逃げなさい。という意味なのです。

一瞬、自分だけ逃げろ、周りに助けるべき人がいても、まずは自分が生き残ることを最優先する。

というちょっと冷たい感じもしますが…住民の8割を失い将来に影響を与えてはならないという、教訓からなのです。

地震発生から、5分〜15分で大きな津波が来る場合もありますから、常に起こった場合の避難経路や、家族で震災時はどこの避難所に集合するとか決めておいた方が良いでしょう。

被災した東北南三県では、逃げる為の経路や避難場所などを、ハザードマップというのを作成して、各地域や家庭に配布しています。

しかし、もうあれから13年も経つと、その意識が薄れてきたのも確かです。

今日、テレビ番組であの日を振り返り、あの日の出来事を色々やっているのを見て、改めて震災への意識を再び持たないといけないと思いました。

大事な生命を守る為に、我々各人の意識を高める事が、一番の防災かと思います。

3.11東日本大震災から13年、”あの日を忘れてはいけない”と、被災地で体験した私からのメッセージを送りたいと思います。

いつ来るかわからない地震と津波、常に頭の片隅に入れておきましょう。

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