#25【而立の音楽遍歴 1】幼い頃に車の中で聞いていた音楽(230606)

どうも。30代lsksINFJ男です。

30代の
l : lefty(左利き) 
s : single(独身)
k : kanojonashi(彼女なし)
s : sakoku(海外渡航歴なし)
INFJ : 提唱者(とかいう類型に分類されるらしい)
男です。

これまでの記事でちょいちょい音楽の話をしてきたのですが、思いの外色々と書けることが判明したので、以後連載的な感じで書いてみることにしました。

僕のバックにいるブレーン達がそうしろそうしろとうるさいのでね。こうしてnoteに記事を投稿していることは誰にも言ってないんですけどね。ええ不思議なことですよまったく。

というわけで、覚えている範囲で時系列順にぽつぽつと書いていこうと思います。長くなることもあるかと思いますが、よろしければお付き合いください。


家庭環境(概略)

まずは僕の生い立ちに多少なりとも触れておく必要がありそうですね。

僕は利き手を除けば、いわゆる一般的な家庭に生まれ育ちました。
歳が3つ離れたクロスドミナンスの兄がいます。
父親は会社員で、60歳を過ぎた今はゆるく働いています。右利きです。
母親は、僕らが小さいうちは専業主婦で、僕が小学校に上がってから徐々にパートに行きはじめ、今は地元の企業にフルタイムで勤めています。母も兄と同様、クロスドミナンスです。

弟の方は兄とは違い、頑なに右手で物を持とうとしなかったらしいです。両親は当時の僕の意志を尊重してくれたようでした。その成れの果てがこれです。

両親の音楽遍歴(超概略)

振り返ってみると、音楽が身近にある家だったと思います。

父親は趣味でギターをやっていて、若い頃は洋楽をよく聴いていたようです。King Crimsonとかエリック・クラプトンとか色々。

家にプレーヤーがないにも関わらず、段ボール1箱分のレコードをいつまでもクローゼットの奥に眠らせていました。(曰く、これでも実家から厳選して持ってきたのだとのことでした。結局レコードは僕が大学生の頃に父が全て売ってしまいました。)

職場にめちゃくちゃ音楽に詳しい同世代の仲間がいるらしく、その人にCDを借りたりして今でも洋楽のマニアックな領域を開拓しているようです。邦楽も聴きます。


母親は特に何か楽器をやっていたわけではないのですが、家の中でよく歌を口遊んでいました。口遊むという表現だとちょっと上品な感じが出てしまって息子としては不本意なのですが、まあ良しとしましょう。

若い頃は山口百恵や中森明菜や松田聖子といった女性アイドルが特に好きだったようです。
山口百恵がマイクを置いた後は何を聴いていたのかよく知りませんが、少なくとも僕に物心がついた頃からはずっと福山雅治のファンです。

この間実家に帰ったら、母が姿勢を正してラストマンを見ていたので僕も一緒になって見てました。心なしか我らが大泉校長のご尊顔が普段の2.5倍ほどの大きさに見えたのですが、その時の僕はきっと疲れていたのでしょうね。
一方でさんずいが付かない方のヨウさんはいつ見ても美しいです。同じヨウでもこれほどまでに異なるとは、多様性ですね。

母が家の中で歌う曲にはジャンルの垣根というものが存在しませんでした。即興で作詞作曲したものを含め、とにかく頭に思い浮かんだ歌を歌っていました。それも一人で。しかもご機嫌に。
今思えば、そうすることによって子育てによるストレスを少しでも発散しようとしていたのかもしれません。すまんな母よ。

車の中で流れていた曲

昔はよく車で旅行に出かけたり、遠く離れた父方の祖父母の家に遊びに行ったりしていました。

僕はプロの車酔い師だったので、車での長距離移動はわりと苦痛を伴うものでした。しかも当時の車が、おそらく35年ローンで購入したであろうランクルだったので、酔い師にとってはイージーな環境でしたね。
なかなかにしんどかったですが、色んな場所(とは言っても関東以北)に連れて行ってもらえたのは今思えばありがたいし、並大抵なことではなかったと思います。酔い散らかしてすまんかったね両親。

両親は車内では、ラジオよりもカセットテープをよく流していました。

当時の僕は聞くともなく聞いていただけなのですが、中でも特によく覚えているのはユーミン竹内まりやですね。頻度としても、このお二方が圧倒的に多かったように思います。

あとはサザンとか、父が母の目を盗んでたまに流すEarth, Wind & Fireなんかが収録された洋楽のオムニバスアルバムでした。杏里もあったかもしれません。

車の中で流していた音楽は、両親が共通して好きな音楽だったのだと思います。(ただし洋楽を除く。)僕はあまり覚えていないのですが、Original Loveもわりと好きだったようです。

おそらく、僕に物心がついた頃に車の中で聞いていたこのあたりの楽曲が、僕が人生で初めて触れてきちんと記憶に残した音楽なんだと思います。

原点になったかもしれない曲たち

僕も一応、人並みに教育を受けてきた身なので、幼稚園でお歌を歌ったり、子ども向け番組の歌を聞いたり歌ったりもしてきたはずなんですよね。でも印象に残っていないと言うか、少しも思い出せないんです。
ものすごく頑張ったら幼稚園の園歌が1フレーズくらいは出てくるかも分かりませんが、結局その程度なんですよね。純粋で清らかな心が失われてしまったからでしょうか。
(追記:機関車トーマスのテーマ曲はちょっと覚えてました。)

それと、母が謎のタイミングで歌い出す、寝かせる気が1ミリもない子守唄なんかもあったような気がしてきました。でもあれは歌というよりも呪詛の類に分けられるべきものという判断で差し支えないと思います。少なくともそれで与野党の合意は得られると思います。

もう一つ、母方の祖母が家族でカラオケに行った時に歌っていた「男には男の道があって女には女の道がある」みたいな曲も記憶の奥底から出てきました。今じゃ考えられない趣旨を歌に乗せておられます。
残念ながら、記憶がほぼ画像な上に断片的すぎてメロディが思い出せません。かなり昔の曲でしょうし、僕が残りの人生でその曲に辿り着くことはもうきっとないでしょうね。
祖母との思い出がこうして知らないうちに消えていってしまうことに気付いてしまったようで、なんだかちょっと悲しい気分になりますね。

振り返ってみたら懐かしさと感謝に襲われた。

ただの音楽遍歴の話をするつもりでしたが、あれこれと昔の記憶を掘り起こしていたらこの上なく懐かしい気持ちになりました。同時に当時の家族、今の家族に対する感謝の念に包まれてしまいました。こりゃまた死別が辛くなりますな。

これはまた別の機会に語りたいと思いますが、自分がある程度大人になってから、小さい頃に耳にしていた曲と再会した時の、高揚感というか、ずっと開けられずにいた記憶の箱が開いたような感覚もまた素晴らしいんですよね。
懐かしさ、郷愁、懐古、追憶、ノスタルジーその他の言葉で言い表される感情の全てが包括された気持ちになります。胸の内からこみ上がってくるものを感じます。鳥肌もんです。

「両親よありがとう一生元気でいてくれ!」とまでなるのは僕だけかもしれませんが、控えめに言っても、音楽の良さがまだ分からない時分の息子たちに、良い音楽を聞かせておいてくれてどうもありがとうと思いますね。

次回の『鶴瓶の家族に乾杯』もお楽しみに。


松任谷由実『ANNIVERSARY』



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