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#ロバートツルッパゲ
家庭用と業務用の言葉。
ブリゴキには、家庭用と業務用がいる。黒くてデカいのと、薄茶色くてカラメル味の方。俺はカミングアウトしちゃうけどブリゴキが苦手なんです。人生の中で積極的には関わりたくないと思っている。駅を出た瞬間から脱線しましたけど、本題は「家庭用と業務用」について。
8年くらい前、「音楽をやっている人は面白いことが多いが、コピーライターの言葉のセンスは業務用だから、あまり面白くない」とTwitterに書いたこと
メイクにうるさいニーチェ。
たとえば、ソクラテスやプラトンが生きているときに俺が写真家をしていたとして、撮影を頼まれるとする。それはエキサイティングなことだよな。
「同時代性」というのはどうにもならないから。ソクラテスは今の人に置き換えると誰だろうと思っても、ちょっと比較のしようがない。社会の構造が変わっちゃってるからな。
シェイクスピアみたいな文学者にしても、今の小説家とは意味が少し違う。現在というのは、有史以来の過去
ヤギさんへお手紙書いた。
ヤギワタルくんがTwitterで、「批評家の必要性」について書いていた。俺はあまり必要だと思っていないので、そうリプライした。140字では到底書けない内容なので、「noteに詳しく書いて」とお願いしておいたらアップされていた。
ヤギくんの丁寧な説明で概要はわかった。批評家によって創作の世界がひらかれたり、作家が進化する可能性があるというのは納得できるし、批評にとどまらずに創作に転じる人がいるのも
ロバート・ツルッパゲとの対話 : 魔法使い
電気の本と、電気製品の説明書の違いは何か。
本を読むのは、応用が利く知識を得ること。説明書はその製品を使うためのモノで、新製品が出たら役に立たない。今求められているのは、「知識なんかどうでもいいんですよ。明日売れる方法だけが知りたいんですから」というマニュアル。
「勉強するのは、魔法を使えるようになること」
という誰かの言葉を聞いて納得した。目の前にある問題への対処法ではなくて、すべてを根本
「他人の映画に出る」
家系図のように、知り合った人の順番を遡ってみる。この人と会ったからこの人と会うことができた、というように。
それはビジネスで言う「人脈」みたいに、得をしたいという意地汚い言葉ではなく、自分という映画に出てくる登場人物のようなもの。
俺の映画のワンシーンに出てくる人がいれば、同時にその人の映画に俺が出ている。それぞれが同じ時刻に誰かの映画に出演していることになる。いい役の場合もあれば、端役のこと
2の人がゼロの人に尊敬される
よく、インスタントラーメンやコンビニのお菓子などのことを「下手な店よりも美味しい」と言ったりする人がいる。
これ。「下手な店」と比べるのは反則なんですよね。「旨い店」と比較しないと。
「俺はケンカが強いよ。小学生なんかイチコロだよ」と言ったら、なぜ大人とケンカしないんだろう、なぜプロボクサーと戦わないんだろうかと思う。勝てる相手を設定してから勝利を言うのは、勝ちの価値を捏造している。
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