『命にふさわしい』ある男の話:人生は変わらない。変わるのは解釈だ。

ある日の夕暮れ。

どこにでもいるような男がありきたりな理由で自らその世界を閉じた。
そのとき彼は、ある声を聞いた。

ー「そうか。せっかく世界一つお前にくれてやったのに、もうよいのか、無欲なものよ」

それははっきりと静かな物言いであったが、彼の頭を強く打った。
彼は全世界が自分のものだったなどと考えたこともなかった。
過去の自分がひどく矮小に思え、とてつもない損をしたような気になった。
声はその気持ちにこたえて言った。

ー「なんと自我を持ちながら無自覚に生きてきたのか、哀れな」
「自我を持たない生き物でさえ皆それを知っているのに」
「不満足ならば世界に戻るがよい、天は不満足を求めない
「だが今度は無償ではない、再なる命を以てこの恩義に報いよ」

我に返った彼は自身の安否を確かめるように慎重にひとつ息を吸った。
するとたちまちその世界は彼の体中を駆け巡り、
吐けど吸えども身体が活力で満ちているのを感じた。
こうして彼はその身に世界を宿し、全てが一体であることを悟った。
そして一生一日一呼吸、寄せては返す無常の万有に世界を確かに感じ取った。
言葉にならぬ一体感、そうかこれが真の命の在り様かと、
かつての人の狭き摂理を離れ、万有の摂理と融合し、
無用の用、価値の無価値、非想非非想を理解した。
以降、彼の世界は一変した。

彼は年老いるまであらゆることを愉しみ、
その全てに満足し、それを以て天に報いろうと思い至った。
そして彼はそのときふと気が付いた、
自らの為してきたことの全てが、天にとってはまるで取るに足らぬ事であったであろうことを。
最後の最後になって彼は、また間違いを犯したのではないか、取り返しのつかないことをしてしまったかと思い悔み、ためらった。

しかし天は、今度は何も言わずに彼から全てを受け取った。
天はもとより知っていたのだ、人が天に報いるなど不可能であることを。

天は満足を求めない。
天は何も求めない。天は何も与えない。
天はただ彼に在るものが在ると気づかせただけだった。
彼は彼自身の力によって変わり、気付き、そしてこの上なく満ち足りたのであった。
戻った世界が本当に元の世界であったのか、あの声の主は一体誰だったのか、彼が疑うことはなかった。

*****
認知されないものは存在しない。だがすべては確かに実在する。
また実在するものはすべて認識可能であり、それらはいかようにも解釈可能である。一切自災、一切自救。

鹿を見てウマと呼ぶのは一般的に正しくはないが間違いとも限らない。
法を破るのは一般的に良いことではないが悪いこととも限らない。
善く生きるのが本当に良いことで、悪しく生きるのは果たして悪いことだろうか。
多様な価値観や解釈が認められた社会は本当に生きやすいだろうか
生きやすい社会と生きにくい社会ではどちらが生きるにふさわしいだろうか。
能動的な生と受動的な生とで生の価値に違いはあるだろうか。
そんなことを考えることさえも生きるために必要でなく、時に贅沢ですらあるならば、このように考え抜いた結果が人生にもたらす効果もきっと取るに足らないものであろう。
しかしそれでもいい、なんでもいいとただ素直に愚直に生きる。

時間に対し垂直にひた生きる、これだけが生けるものが最大の生を為す唯一の方法である。
進みゆく時間とそこに留まろうとする意志との大いなる摩擦、
これこそが「命」と呼ぶにふさわしい。

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