見出し画像

整体指導と治療の違いって何なんだろう?

数ヶ月前にぼくの中に芽生えたテーマがある。


整体指導と治療の違いって何なんだろう?


野口晴哉先生が治療を止めますと宣言されて

整体指導を掲げられた時に

我々は治療を続けますと野口先生の下を去った人達がいる。

野口先生が提唱した整体は

巷に溢れている整体とは異なるので今では野口整体と呼ばれている。

離れていったグループのボスに20年来カラダを診てもらっていた方が

先生が高齢になって引退されてぼくの指導室に来室された。

そして20年ぶりに発熱をされた。


その先生に触れられた印象がぼくの愉気と似ているらしい。

ってことは愉気を用いている方であることは確実。

それなのに発熱をしたことがなかったという事実は

ぼくを考え込ませるに十分だった。


いったい整体指導と治療の違いって何なんだ?


その先生は鍼灸や医師の国家資格も取得されていて

ご自身の団体を大きくされている方。

本も多数出されているので

野口整体の勉強を始める時に買い求めたんだけど

野口先生の匂いがしなくて何故だか読む気が起きなくて

積んだままになっていた。


治療を突き進んで来られた方であることは想像に難くない。

腰痛や病気治しの技術は

駆け出しのぼくより確実に高いはず。


整体とはホメオスタシスが働く心身の在り方。

ホメオスタシスが働くために感じられるカラダ

本来のカラダの在り方を取り戻していくことが整体指導の目的になる。


整体指導者を目指す人の原点って野口晴哉への憧れという人は多い。

ところが自分が活動を始めてみると

野口先生のように変化が誘導できないし

下手をすれば腰痛みたいなものですら変えられなかったりする。

目の前の困っている人が変わらないと

いよいよ整体指導ではない外の技術に目を向け始めてしまう。


だから整体指導者と名乗っているのに医師免許を取ってみたり

心理カウンセラー資格をとってみたりと

肩書きがどんどん増えてしまうんだと思う。

整体指導の技術を究めていく方向じゃなくって

治療という技術の習得に向かってしまう。


そのように治療にシフトした整体指導者は

ミイラ取りがミイラになるように治療家になってしまって

整体指導者じゃなくなってしまう。

というか最初から整体指導者ではなかったってこと。

それは決して他人事じゃなくて

ぼく自身にも起こりえる事だと思う。

いやまさに起こりつつある事なんじゃないか。



実際に自分が組織に属さずに独りで整体指導者として活動を初めてみると

そもそも発熱や風邪が

カラダが整うためにカラダが起こしている活動であることに気づいている人などいないことが分かる。

一般の人の感覚は治してくれればいいというシンプルだけど強力なニーズしかない。


だから治してほしいというニーズにも応えようとしてしまう。

整体指導が出来ていたら自然と治るように導けるんだけど

整体指導の技術が未熟だと全然そうならない。

けれども治癒がおこならければ信頼もされず

再び来室されることもないので

そうなると治そうとしてしまう。

こちらの力で治すのが治療であり、

整った結果としてカラダ自身が治っていくのが整体指導。

病気や異常を観ているのが治療で

カラダや心の在り方を観ていくのが整体指導。

そもそも心身の不調を慢性的に抱えている人は

ホメオスタシスが働かない鈍いカラダ。

不感症のカラダなので

感じていない人のニーズに応えていくことになる。

ずっと治して欲しいというニーズに応え続けられたことは治療家としてはものすごく研鑽を積んでこられたことは間違いない。

けれどもホメオスタシスに働きかけられていないんだから

整体指導ではない。


じゃあ整体指導と治療の違いって何なんだ?


言葉で、観念で説明するんじゃなくって

具体的にどう観察していくのか

具体的にどう働きかけていくのか

心身の見方や働きかけ方が決定的に違っている。

このテーマは真摯に向き合って大切にしていかなくちゃ。

整体指導者として歩んでいけるように

野口晴哉先生のお墓参りに行ってきました。

小平霊園は人も少なく満開の桜が出迎えてくれました。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?