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知らず知らずに育っていた能力。

以前、いただいた整体指導の資料。

凄い資料を手にとって当時のぼくはすぐさま一読したんだけど

驚くほど頭に入って来なかった。

正確に言うと、書かれていることが余りにも自分の手で感じとれないので

カラダや手を通して理解することが出来なかった。

一読して、今の自分じゃ全く手も足も出せない資料だと感じた。

その資料は顧みられることも無く、そのまま月日が流れた。


手に気を集められるようになって、

気が感じとれる手が育ってこないと整体指導は出来ない。

感応させて元気を呼び起こすのが整体指導なのだから。


感じられる手が育ってこないと

先生が、このカラダはここに穴があるだろと説明してくれても

自分の手で感じられない。

ここが弛緩しているだろ

ここに硬結があるだろ

ここに力の境目があるだろと言われても

自分の指で触れても感じることが出来ない。

先生が、ここは気が閊えて黒くなっているだろと説明してくれても

まったく見えない。

それはもう全く分からなかった。

感じれないんだから、当然観察した心身の在り方は違ってしまう。


感じられている内容が違うんだから

師匠が感じているもの、見ているものが、見えない。

まるで盲人の如くに見えない。


ところが他人との比較もせずに

コツコツと手に気を集めたり、活元運動をしていくと

感じられるカラダが育ってくる。

育ち方は自分オリジナルであって個性そのもの。

人によって様々。


あれっ!?

これって、先生が言っていた穴じゃん!

あれっ!?

異常な部位が黒く見えてる!


それはいつだって前触れもなく突然感じられるようになる。


実際に整体指導者として活動しだして

他者に愉気をさせてもらえる機会が日常になった。

自然と自分の指で感じられることが拡がってきた。


愉気を用いて働きかけているのは同じなのに

整体指導と治療が違っているのは何故なのか?

その疑問を抱えて先生の著作を読み返していたときに

以前、一読しただけで手も足も出ないと感じた閉じたままの資料の存在を思い出した。

探し出してきて読み返してみた。


あんなに難しく感じて拒絶反応を抱いた資料だったのに

不思議なことに今のぼくは拒絶反応を持たずに読んでいくことができた。

こんなことが書かれていたんだぁ

自分の指で確認しながら毎日読み返す日々。

書かれていることが自分の指で感じられるようになっていた。


感じる能力が育ってない時代には

只の難解で価値が見いだせない資料だった。

感じられる能力が育ってきたことで驚きと発見の宝物に変わっていた。


自分の変化を客観的に感じるのって難しいけれど

資料を読んだときの自分の反応が余りに変化していたので

知らず知らずのうちに自分も変わってきていたんだと

嬉しい発見に励まされている今日この頃です。



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