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「カラダが感じられる」ことがご自愛のスタート。

手紙の文面で「ご自愛くださいませ」と書く時の

ご自愛って、たぶんカラダを大切にするって認識を持っていると思うんだけど。

じゃあ、カラダを大切にするって何?

よく寝ること?

よく食べること?

よく動くこと?


カラダで起こっている異常をちゃんと感じ取れているのなら

実はカラダの自然はそんなに乱れていない。


異常が感じとれていれば回復要求は起こりやすいし

ホメオスタシスが働いてくれるからね。

感じなければホメオスタシスは働かない。


カラダを運営しているのは100%無意識運動。

その無意識運動が滞りなく動いてくれるために重要なことは

カラダを感じられるってこと。


だからカラダを大切にする「自愛」に重要なのは

自分のカラダが感じられるってことになる。

まずそれが大前提になる。


本人は首を気にしているのに

整体指導でカラダを拝見したら

大元の異常は腰であるカラダの人が連続して指導室に登場された。


ふたりとも首を気にしていて

腰に異常を抱えていることを感じていなかった。

ところが一番硬張っている腰の1点にふれると

その部位が異常であることは分かると言う。


そしてその部位のせいで

ひとりの方は半年前に動けなくなったと言い出されるし

もうひとりの人は何十年も昔にそこが異常だと感じていた時期があったことを思い出したと教えてくれた。


カラダに生じた異常は

その異常を生み出したのが環境起因だった場合

環境が全然変わらないと

変わらない異常を感じないで済むように

カラダが過酷な環境で生きていけるように鈍り適応していく。


その場合は、異常は存在したままになるため

その異常から2次的な異常が派生して生まれてしまう。


だから2次的に派生している異常の調整をずっとしていても

カラダは整っていかない。

最初に生じた一次異常を調整しないと整体にはならない。


以前、膝の手術をしていて、腰のヘルニアという方が現れた。

驚いたことにその人は歩けるんだけど足首の関節が外れていた。

足首の怪我は20年くらい前なので

膝の手術より遥か昔。

足首が外れているんだから膝や腰が痛くなるのは当たり前だよね。

本人が足首の異常を感じないから

膝にメス入れたり、腰に異常が出来てきたわけ。

最初に足首の異常を感じてちゃんと調整していたら

おそらく膝の手術も要らなかっただろうし、腰痛にもなっていないじゃないかと思う。

実際に足首をはめたらすぐに腰の痛みは無くなってしまった。


最初の異常を感じなかったために

2次的な異常を生み出してしまったという典型的なケースだった。


感じないと異常を治せないし

感じないと異常がさらに異常を生み出すことを止められない。

カラダを硬張らせていたら感じないんだから

そもそもカラダのメッセージを聴くなんてできない。

カラダを大切にしたいのなら

カラダを感じられるようにすることからまずは始めなくちゃ。

それがご自愛の最初の一歩。

具体的には硬張りを緩められる、脱力できることが

自分でカラダを感じることを手助けしてくれます。



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