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自分と仲良く生きる。

年始に数年ぶりに会った友人と話していたら

ものすごく驚かれた。

話していた内容はブログにも書いているような内容。

活元運動や愉気を用いた自分のカラダとの向き合い方。

変動の経過のさせ方。


にわかには信じがたいと言って

あまりにも驚愕している表情が印象的だった。

心身の扱い方という視点から見たら

生きている宇宙がまったく異なることが白日の下にさらされた。


ぼくにとっては普通のことだから

そんなに驚かれる理由がもはやピンと来なかった。


実際に活元運動も愉気も知らない友人も

ぼくも寿命が来たら死ぬわけ。

「いま」生きているって事実だって何ら異ならない。


久々に本格的に風邪をひいて経過してことを記事に書いたら

記事を読まれた方から感想をいただきました。

身体が診れるって、すごいことですね。宇宙を、世界を、把握しているみたいですって。


確かに活元運動や愉気ができるようになって

自分の心身の在り方が読めるようになると

こころやカラダの変動に対する怯え、不安というのは著しく無くなってしまう。


もちろんすべて100%読めるわけじゃないけれど

ほとんどの心身の変動に対して薬や外部の力を導入せずに

カラダの自力を呼び起こすことで経過できることを知っていることは大きいかもしれない。


くわえて心身の変動が起きた理由も自分で思い当たるようになる。

カラダを冷やしたり、食べ過ぎだったり

眼精疲労や、同じ動作・姿勢を続けたことによる偏り疲労だったり

そして何より自発性のない労働や、義務感によって日常を過ごしていること。


カラダが発してくれているメッセージが

自分が感じている本音とリンクしていることも分かってくる。

だからカラダで感じる違和感にも聞く耳を持つようになってくる。


結果として自分が感じている気分にも敏感になるし

自分が心地よく在るってことに気を配るようになっていく。

気がつくと自愛という道を歩んでいたってことになるのかも。


ものすごく驚かれっちゃったんだけど

特別なことじゃないだよなあ。

無意識運動によって運営されているいのちに乗り込んだ意識体がぼくら。

活元運動や愉気を知らなくたって

いのちは等しく運営されている。

ただ一度気がついてあげればいい。

それほどまでに身近なものなんです。



※ジョンウイリアムスの名曲







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