眼精疲労はあなたの「ふれ心地」まで変えてしまう。
現在2023年の日本で生きているぼくらは
この時代が生み出している環境の影響をもろに受けている。
そして影響を受けていることを認識することが難しい。
「わたし」は自分のカラダを介した五感を通じて世界を認識している。
そのカラダが時代特有の環境の影響をデフォルトで受けてしまっている。
観測点の「わたし」が既に影響を受けているもんだから
その受けてしまっている影響自体が分からない。
1990年代後半
鍼の名人と言われる先生がある異変を感じていた。
それは鍼をカラダに打つとき
先生は鍼がカラダに入っていく感触、手応えを感じとっている。
最近、その手応えが無いカラダが急激に来院しだしていた。
柔らかい絹豆腐に鍼を打っているように手応えを感じさせないカラダ。
いったい何が起こっているんだろう?
ぼくも手で触れて心身を観察している立場なので理解できるんだけど
手応え、触感で感じとれる異変って
ちょっとやそっとの異変じゃないんだよね。
在り方の根本に影響が及んでいる重大な異変。
その鍼の先生は東京の港区で開業していた。
1990年代後半といえば
オフィスに急激にPCが普及した時代。
眼精疲労で覆い尽くされたカラダが激増した時代だった。
眼精疲労に覆われたカラダが普及したために
無いのが当たり前であるはずの生理痛があるカラダが50%に達し
どこの会社でも花粉症の人がすぐに見つかるようになってしまった。
そして意欲が湧きづらくなって
鬱状態の在り方を呈するようになったカラダもまた増えた。
いまや小学校からタブレットを使用するようになって
この時代に生きている宿命とも言える眼精疲労。
眼精疲労でくたびれているカラダって
ふれてすぐ伝わってくるほどの息苦しいカラダ
ものすごく居心地の悪いカラダ。
鍼の先生が感じとったのは
時代が生み出した
かつては存在していなかったニュータイプのカラダだった。
何か重大なことがカラダに生じていると感じた通りに
ぼくらが生きている現在はカラダにとって
有史以来最大の受難の時代が到来している。
ところが当事者のぼくらは
もはや眼精疲労がデフォルトになってしまっているので
その過酷さを認識できていない。
過酷さゆえに
過酷さを感じないように鈍り適応して時代に適応している。
だからこそ認識できない。
深刻な状態に陥ってから初めてその過酷さに思い至る。
整体指導を受けておられる大学病院のお医者さんと話していても
眼精疲労がそれほど多岐に渡る影響をカラダにもたらしているとは認識されていなかった。
その認識の相違はたぶんカラダに触れていないからなんだと思う。
鍼の先生のように鍼がカラダに入っていく触感を感じているひとは
眼精疲労がもたらしている異常にすぐに気づいた。
液晶を見る時間が多い仕事に就いていて
慢性的な病気を抱えていたり
慢性的に疲れや違和感を抱えていたり
なんだか気力、意欲が湧かない
感情の起伏が感じられなくなっている
なんて感じているんだとしたら
それって、眼精疲労が原因かもしれません。
※あわせて読むといい記事
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?