ひとり親と児童扶養手当、きびしい現状

8月。ひとり親は役所に出かけていき、現況届というものを提出する。同居している家族構成や昨年分の所得など申告する。条件に合えば児童扶養手当(児童手当とは別物)が支給されるようになる。手当の額は所得が増えるにつれ減っていき、所得が決められた額を超えると支給が停止される。児童扶養手当を受給していると、ひとり親医療証がもらえる。これを病院で提示すると、自治体によって差があるのだけど、親も子もひとり当たりの月の医療費が安く抑えられる。さらに小中学校では就学援助という学用品の購入費用や修学旅行の費用が支給される仕組みがあり、いくつか支給対象となる家庭があって、児童扶養手当を受給している家庭もそのなかに含まれている。

児童扶養手当の支給額は2015年の時点で1人目の子どもに最高で4万2千円、2人目が5千円、そして3人目以降が3千円となっていて、2人目以降が極端に少ない。現在の日本では6人にひとりが相対的貧困にあるのだけど、これがひとり親家庭になると半数を超える。5千円で子どもを育てられるかというのが問題になる。2015年にこれをなんとかしようという動きがあり、2人目以降の支給額が倍増されることになった。このときにいろいろな議論があったのだけど、そのうちのひとつに所得を基準に手当を支給すべきと言う意見があった。つまりひとり親でも所得の多い人はいるので、ふたり親でも所得が低い人に手当が支給されないのは逆差別だという意見だ。

所得を基準とすることには異議はない。しかし基準の設け方が難しいのではないかと考えている。ひとり親とふたり親の所得を単純に比較することはできないのではないだろうか。それはひとり親の貧困がお金だけでなく時間も足りなくなる問題だからだ。同じ所得のひとり親とふたり親では、ひとり親のほうが使える時間が少ない。子どもに使う時間も少ないし、収入を増やすためのスキルアップに使う時間も少ない。同じ所得であれば、ひとり親のほうが不利な状況に立たされる。無理をして稼いでいると言ってもいい。

所得を基準にするという考えに基づく案として、子どものいるすべての家庭が対象となる児童手当の額を所得に応じて変動させるというものがある。これはあくまで使えるお金にだけ着目しているという点であまりよいアイデアではないように思う。児童手当は夫婦で高いほうの所得を基準としているため、世帯全体の所得は反映されない。また、祖父母と同居していても額が変わらない。これは単身で子どもの世話をしているひとり親にとってはかなり不利になってしまう。そのため児童手当の計算方法を大きく変える必要がある。そのような大がかりな変更は現実的なのだろうか。

児童扶養手当に話を戻すと、僕は所得制限の額が低すぎると感じている。おそらく制限と支給額を決めるときに時間の概念が考慮に入れられていないのだろう。ひとり親の持ち時間は半分だ。フルタイムで働きながらワンオペ育児というのは難しい。働く時間を減らすか、お金で時間を買うことになる。生活していくだけのお金だけではなく、時間を買うためのお金が必要なのだ。児童扶養手当が支給停止されるとその分の収入が減る。ひとり親医療証も停止されるため医療費は上がる。就学援助も他の条件に当てはまらなければ停止となる。所得制限をギリギリ超えるか超えないかで家計の収支に大きな差が生まれることになる。

ひとり親は時間も半分、収入も半分。ふたり親共働き世帯と同じだけの収入を得るためには最大4倍稼がなければならない。そしてがんばって稼ぐと手当がなくなるという仕組みになっている。所得税も累進課税だから稼ぐほど税金が増えるよと言われるかもしれない。しかしある程度の収入があって税金を納めるのと、時間も収入も不利な状況で支援がなくなるのとではダメージの大きさが違う。無理をすれば心や体を壊すリスクも高くなる。時間が足りていないというのを考慮すべきだと思う。もちろんそのような計算は難しいし、当事者以外には理解されづらいことはわかっているのだけど。

実際には収入や時間が足りないだけではなくて、精神的にも消耗してしまうので事態はもっと深刻だ。僕は子どもたちにもっと時間を使ってあげたいと思っている。ちゃんとした料理をつくるだとか、勉強をみてあげるだとか、もっと時間が必要だ。すき間時間があっても体と心を休めるために消費してしまう。シングルファーザーは地域コミュニティから孤立しがちで、情報格差に悩むこともある。となるとコミュニティでの活動にも時間を割いたほうがいいだろう。とにかく時間がほしい。その時間を買うためのお金がほしい。自由人を自称している僕でさえこんな状況なので、ひとり親の生活というのは大変なのだと思う。もう少し手厚いケアがあってもいいのではないだろうか。

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