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寂しさは、埋めずにそのままに

夜、静かな部屋に一人でいると、無意識にスマホを手に取ることがたまにあります。

以前の記事でもお話したように、昨年の11月に、5年近く付き合った恋人と別れました。彼と付き合っていた頃、夜に電話することが多くありました。だからでしょう、今でも時々、ふと夜にスマホを手にとってしまうのです。

電話をかける相手はいないんだった、と気づいてスマホを置いて、エアコンの音を聞いている姿を過去の自分が見たら、「一人でかわいそう」と思う気もします。

でも、今の私は、電話で孤独を埋めるという選択をしないで済むことに、感謝しています。


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学生時代、病気のことを友達に隠すようになってからは、私は友達とはあまり話さなくなりました。体調がどうなるのか分からないのに先のスケジュールを組むことはできませんし、友達を心配させたくないと思っていました。結局、会えたところで、私は何も話せなくなる気がしていました。

その点、恋人は別でした。

彼には病気のことを先に話していたので、私が遠出できない時には私の家の近くまで来てくれたこともありました。せっかく出かけても疲れて寝ていることが多かったのに、よく付き合ってくれたと思います。

そんな彼との電話が癖のようになったのも、病気が一つの原因でした。

私の場合は、朝や夜にめまいと耳鳴りの症状がひどくなることがありました。もちろん、本当にひどい時は自分自身も部屋も回っている感じで、わけがわからなくなるのですが、耳鳴りだけの時は何か音を聞いていると少し気がまぎれたのです。

夜の静寂から逃れるように、私は彼と電話をするようになりました。

電話をかければ必ず出てくれる安心感は、強いものだったなと今は思います。私は、眠りを妨げるしつこい耳鳴りから逃れようとするうちに、寂しさときちんと向き合う時間を失っていきました。


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学生時代が終わり、社会人になり、少しずつ、私は一人で外に出るようになりました。ありがたいことに症状は落ち着き、一人で美術館に行ったり、映画に行ったり、友達と出かけたりすることができるようになったのです。

でも、外に出ると、また、心のどこかが寂しさでうずくのを感じました。

どこに行っても、自分と同年代くらいのカップルの姿が目に入り、「いいなぁ……」と思っている自分がいることに、ある時気がついたのです。

お付き合いしている相手がいるのに、変だと思う人もいるでしょう。でも、遠距離恋愛って、こういうものよねと自分を納得させていました。

付き合っているうちから、フリーのような寂しさを感じる。そんな遠距離恋愛がどうして成立していたのか、今となってはよくわかりません。

でも、そのうちに、こう思うようになったのです。”彼と一緒にいなくてもいい”。

そう彼に伝えると、「縁を切る気なの」とか「友達に戻ることはできないから、別れたらそれで終わり」とも言われました。

私は、一人の友人を失うことを恐れました。
心を開いて話せる人を失うかもしれないという恐怖は、決して小さなものではありません。私の中で、彼と別れるという選択肢が揺らぎました。

でも、ある時逆だと思いました。誰に対しても、心を開いて話せばいいのです。なぜ、恋人にだけその特権を与えていたのだろう、と私は目が覚めたような気持ちなりました。だって、彼は、半年に一度、会うか会わないかの人なのに。

縁を切る気かと言われた時、私はひるみました。彼は話すのが私よりも上手いので、気がつくと言いくるめられていました。でも、ある意味弱いところをつかれていただけとも思います。

やっぱり、孤独と向き合うのが怖かったのです。

でも、一人で過ごす時間が増えれば増えるほど、孤独を埋める相手として彼が機能しなくなっていることに気がつきました。もはや、自分が孤独を埋めようとも思わなくなっていることにも。

最後の方は、意識的に電話するのをやめていました。電話をかけたら彼が出ることは分かっていました。「でも、そうやって孤独を埋めていいの?」と私は自問するようになったのです。

もともとは、「私と別れたら、あなたは一人になるよ」って言われて、私は怖かったのです。向こう側の見えないトンネルに進んでいく勇気は、私にはありませんでした。

でも、未来はいつだって暗闇ですが、そこに一人で入っていかなくてもいいと私は学びました。仲間を沢山作ればいいし、自分が自分の味方でいればいい。それだけのことだと気がついたのです。

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今、寂しさを抱えている人がいるのなら。
解決策の一つは、何かに依存することです。

誰かや何かに依存すればいい。
依存していることすら忘れて依存すればいい。

でも、そうして寂しさを埋めることは、自分を無視することのように私には思えます。

だから、私はもう一つの解決策を提示します。
寂しさを、何かで埋めずに、そのままにするのです。

最近では、毎日のように人に会っている私がこんなことを言うなんて、おかしいことかもしれません。でも、どんなに人に会っても、どんなに深い話ができたように思えても、孤独感はなくなりませんでした。

一人になった瞬間に、また、どこかで寂しさを覚えるのです。

でも、それが悪いことだとは思いません。

私自身、孤独感をなくそうとしていた時もありました。孤独に抵抗し、目を背けようとしたのです。でも、そうではなく、一つの現象として受け入れ、向き合っている時の方が、心が安定します。「独りぼっちの時間」を持つことで、いいこともあると気がつきました。

それは、誰かと話している時には話せない”自分自身”と話すことができること。

だから、今、寂しさを感じている人がいるのなら。私はこのことを伝えたいと思います。

私には、私がいる。
あなたには、あなたがいる。
だからもう、何かで寂しさを埋めなくていい。


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