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これからのこと

さて、どうやって今日を生きよう?

そんな風に思いながら目が覚める日が増えました。

ここ数か月の記事を振り返ると、その理由は明白です。

当たり前の日常が少しも当たり前ではないことに、私は怪我を重ねても、本当には分からないままでした。

でも、身近な人たちが相次いで旅立ってから、自分の足元が、非常に脆いものでできているような感覚を覚えるようになったのです。

明日が来る確証のなさ。
それは、恐怖にも近いものがあります。

いつまでも続くように思っている日常が、本当は、いつ終わるか分からないというのは、意識し出すと恐ろしいし、意識せずに生きてしまうのは多分もっとずっと恐ろしいことなのだと、今は思います。

でも、私たちがするべきなのは恐れることではありません。
私が死のことを考えながらも夢のことを考えていた時、そのことがはっきりと分かりました。

有限で、いつ終わるか分からない日々を生きる私たちがすべきこと。

それは、どうやって今日を生きよう? と、毎朝自分に問いかけることだと思うのです。

もしかすると、この問いは、少し重たく感じられるかもしれません。

答えはないし、自分の人生を完全に自由に決められるとも限らないでしょう。時に、この質問は、自分を苦しめるものだとも思います。

私自身、学校に通っていた頃は、宿題や課題や人間関係のしがらみに、いつも疲弊していました。

会社に行くようになってからは、役に立たなければいけないプレッシャーと、成果の出ない現実に疲れきってもいました。

だから、どうやって生きようか考えても、意味がないと思うことも、正直に言うとあります。

どう足掻いても月曜日は来るし、テスト期間は始まるし、評価が下されます。時々、このまま電車で会社と反対方向に向かってやろうか……と思うこともあります。でも、私の足はしっかりと学校に向かってきましたし、これからは会社に向かうのでしょう。自分で決めたはずの道の上でなぜか苦しみ、明日も同じこと、と思っていたのです。

でも、私は、人生への考え方を、態度を変えなければならないのだと思います。

あわただしい日常の中で、自分の生まれてきた意味や使命を考えるなんて、馬鹿げているかもしれません。突き詰めれば、意味なんてないと思うことだってあります。実際、大きな意味なんてないのかもしれません。

でも、いまこの瞬間、私はここに存在しています。

私はどうしたいんだろう?
私に何ができるんだろう?

目が覚めた瞬間にそんなことを考えて涙したのは、上司のお通夜の次の日
の朝が初めてでした。一人、ホテルの部屋で朝を迎えた時、太陽の明るさに、部屋中が照らされているそのことに、なぜか泣けてきたのです。

私には、こんなにも当たり前のように朝が来ているのに、と思わずにはいられなかったのです。朝の静かで穏やかな時間が、こんなにも悲しいほどに美しく思えたことはありません。

当たり前のように明日が、いえ、今日が来たという事実に、くらくらするほどでした。

自分に与えられた可能性と、世界の広大さと、抱いている夢への気持ちと、もしかすると明日が来ないかもしれないという恐れと、今日が来たことへの安堵ーーー。その、あらゆる感情や思いや考えが、一斉に、ベッドの上の私に押し寄せてきたのです。

あぁ、どうやって今日を生きようか。
私に、何ができるんだろう。
私は、何を残せるんだろう……。

途方もないことを考えながらも、日常が始まっていき、昼が来て、夜が来て、気がつくと私は家に帰ってきていました。

でも、その間中、ずっと考えていたのです。

私、これからどう生きていこう、と。

そんなことを考えていた時に書いたのが、↑この記事です。

しかし、この記事の目的はあくまでも創作大賞の感想で、私にインスピレーションをくださったnoterさんの記事のご紹介がメインになっていました。

なので、今回は最後に少し、最近目覚めた時に考えていることを、夢を、改めてお話したいと思います。

自分に何ができるのか。
今日をどうやって生きるのか。

これに対する答えは、もう耳にたこができたよ、と言われてしまうかもしれませんが、書くこと。書いて生きていくことです。

朝起きた瞬間から、やっぱりそのことを考えているのです。

今日は何を書けるかな、何を経験するかな、どう言葉にしていこう、誰に伝えよう、誰に伝わるかな……。そんなことを考えています。

というのも、実は最近、仕事でも文章を書く場面が増えてきています。

他の仕事は、「どうしたらいいの?」とやり方が分からずに途方に暮れることが多いのですが、書く仕事だけは別です。もちろん手探りな部分も多くありますが、それが楽しいのです。どういう言葉が適切か、もっといい表現はないか、と悩む瞬間さえも、やっぱり楽しい。

だから、書くことを仕事にしたいとも思っています。

けれど、それがどういう「仕事」になるのかがはっきりと分かっていないのです。それでも、言葉の力で他者の道を照らし、自分の道も切り開いていけたらどんなにいいだろうと思います。

そのために苦しい経験をすることがあったとしても、それをもとに書いた文章が誰かの(あるいは未来の自分の)糧になるなら、そんなに素晴らしいことはない、とも思います。

今日のようなnoteを書くことで、この記事を読んだ誰かが夢と向き合うきっかけになるかもしれない。

悲しい出来事を綴ることで、その記事を読んだ誰かが、大切な人との時間をもっと大事にできるようになるかもしれない。

1 年間で学んだことをまとめることで、その記事を読んだ誰かの悩みの一つが、少しだけ和らぐかもしれない。

誰かに言われてはっとした言葉を発信することで、その記事を読んだ誰かも、はっとするかもしれない。

自分の考えが変わった経験を共有することで、その記事を読んだ誰かの人生もいい方向に変わっていくかもしれない。

自分の心に残っている言葉を、記事にも残すことで、その記事を読んだ誰かの心の中にも、その言葉の持つ力が根付くかもしれない。

辛かった経験をあえて言葉にすることで、同じように辛い経験をしている誰かを救うことができるかもしれない。

私の思い描く夢は、所詮、「かもしれない」にすぎないと言われても仕方がありません。でも、不確かな明日に比べたら、ずっと強力な希望だと私は思うのです。

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今回の記事でも登場した「夢と死と」ですが、「たくおだぎり」さんの記事の中でご紹介いただきました!
「たくおだぎり」さん、ありがとうございます。
偶然にも、今回の私の記事の内容と響き合うところがありますので、ぜひこちらも読んでみてください。

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