火花と小説火花

僕が火花という零細アカウントをつくったのは4年前に当時付き合っていた彼女に振られたことがきっかけだった。それはいわゆる「裏垢」で、誰にも見られないことを良いことに、憚ることなく感傷的な内容をただただ垂れ流していたと思う。そうすることで、一時的ではあるが溜飲が下がった気がした。
アカウント名を火花にしたのは、線香花火からとったものだった。
線香花火が好きだった。ただ線香花火の煌めきがもっと長いものだったら、僕はそれを美しいと思えたのだろうか。
あの煌めきに恋をしていたのか、はたまた刹那的なものに恋をしていたのか。僕はどちらが真実なのかは判然としなかったが、線香花火のあの一瞬の火花が永遠の美しさを保持しているように思えた。
一瞬の象徴である線香花火に、一瞬とは真逆である永遠を抱いて、僕は自分の名前を火花と名乗るようになった。

又吉直樹の小説火花に出会ったのは、確か刊行された当初だったので、今から7年前ということになる。大学生であり、僕は生物学、詳しく言うと生物地理学が専攻だった。昔から進化学に興味があり、淘汰という言葉に敏感になっていた。当時の僕は火花を読んで、淘汰された側は決して無価値なものではないのだと強く感銘を受けていた。

7年後、小説を少し読むようになった今、もう一度火花を読むことにした。
難しい言葉は調べ、気に入った表現や文はノートに記録した。丁寧に又吉さんの書いた火花を読んでいくと、この文が純真なものの塊であることに気付き、主人公である徳永が師である神谷さんに憧憬の念を抱いているのと同様に、僕はこれを書いた又吉さんに憧れはじめていた。
僕は徳永と神谷さん両方に又吉直樹を感じた。そこにはお笑いと人間に対する愛と哀が詰まっているように思えた。
選評に破天荒で世界をひっくり返す言葉で支えられた神谷の魅力が、後半、言葉とは無縁の豊胸手術に堕し、それと共に本作の魅力も萎んだと書いた審査員がいた。
違う。それは全然違う。そう強く思っている時点でやはり僕はもう又吉さんを神谷さん的な視点で見ていた。
神谷さんが純粋に面白いと思ったものが、世間の差別的なフィルターを通せば、そこに悪意が存在しなくてもそれは淘汰されてしまうのだ。世間に優しくないものはほとんど面白くないものと捉えられてしまうのだ。
ここにお笑いというものの核心と葛藤があるように思う。普通と異常を使い分け、異常で人々を笑わせる。その異常が世間から受け入れられないものであったとしても、極めて純な面白さを追求したものが確かにそこにはある。
僕はこの純粋さを誰にも否定して欲しくないと思った。

今、火花を読んで再び又吉直樹という人間の純粋さや優しさ、面白さを文体の節々から感じとった。

こんなものが書けるようになりたいと強く思った。

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