エッセイ 春が苦手
昔から春が苦手だ。
環境が変わることが原因なのだろうけど、大きく環境が変わらなくても、心が変化というものに敏感になる。
環境の変化を楽しめる人、不安に思わない人は強い人だ。きっとこの世界を登りつめていく人だろう。
僕はめっぽう弱い。ダーウィンが環境に適応できないものは淘汰されると言ったように、僕は淘汰される存在だろう。
小学生から中学生に進学するときや、大学生から社会へ巣立つときの大きな変化は誰だって不安になる。未知なる世界へ飛び込む心の負担は大きい。だから春は新生活を迎える人にとって、不安な季節だろう。
でも僕の場合は、春という新シーズンを目の前にすると、環境がさほど変わらなくても、自分自身への期待によるプレッシャーと、それに伴っていない現実という名の絶望感に襲われる。
春から社会人3年目になる。もう新人とは決して言えないキャリア。それに相応しい仕事ができているだろうか。
こんな3年目になりたい、先輩のように信頼される人間になりたい。でも伴っていない。時間は平等に、止まることなく今も流れる。その時間という存在を改めて突きつけられるのが春な気がする。
人と比べることなく生きたい。比べたっていいことがない。でも他者がいて初めて自分が分かる。他者を見て初めてなりたい自分を見つける。人生はほんとに難しい。
厳しい寒い冬を乗り越えたら暖かい春が来る。
なのに僕にとっては毎年厳しい春だ。
春という言葉には苦しくつらい時期のあとにくる楽しい時期、人生の中で勢いが盛んな時期といった意味、そして思春期という意味がある。
そうだきっと春は僕にとって毎年思春期なんだ。
思春期は人生で最も多感な時期で、成長へのエネルギーが生産される。春は大人になっている途中なのだ。
この春を毎年乗り越えて少しずつ大人になろう。
いつか楽しい季節になるように。
いやいつだって厳しい春でいい。
そう構えていたら僕は春に適応できて、淘汰されない。
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