『資本論』第1巻第8章 人格化された資本と、人格化された労働時間
『資本論』を第8章から読み始めました。かつて関西勤労協の吉井清文さんの講座を受ける機会があって、『資本論』は8章からやるとわかりいいとすすめられたことがあります。資本と労働者の標準的な労働時間確立をめぐるたたかいを生き生きと記述しており、実に面白い章です。
資本家は「人格化された資本に過ぎない」というあの味わい深い言葉をいろんなところで引用していたのですが、読み進めて行って2節の最後の方に、労働者は「人格化された労働時間以上のなにものでもない」という、これまた含蓄ある記述があ