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NHKスペシャル『未解決事件 File.09 松本清張と帝銀事件』に刺激をうけ『帝銀事件と日本の秘密戦』を読んだ

お正月、『帝銀事件と日本の秘密戦』を読みました。
1948年1月、日本がまだ占領統治のもとで戦後の混乱期、白昼に起きた大量毒殺事件「帝銀事件」を追った番組で、昨年12月29日、30日に放映されたNHKスペシャル『未解決事件  File.09 松本清張と帝銀事件』がきっかけです。
番組の1日目・前編は、小説家・松本清張がこの事件の不可解な点を丹念に調べ、平沢貞通犯人説に疑問を投げかけ、真犯人を追っていくというノンフィクション小説を書こうとするドラマ仕立てになっていました。2日目の後編では、この冤罪事件となる背景を詳細な資料に基づいて、日本陸軍の毒薬・毒ガス・細菌兵器製造の知られざる実態に迫り、さらに陸軍と利害が一致するGHQがこの捜査の基本方向を定め、核心に迫る捜査を妨害する役割をはたしていたことを突きつけました。戦慄の実態を暴き、占領期の日米の国家的犯罪ともいえるこの冤罪事件を絶対に闇に葬るわけにはいかないと真実に向き合い、戦い続けている人たちの姿を描いていることにも、強く感動をおぼえました。番組製作陣の意気込み、決意が感じられる良質の企画となっていました。

この番組にも登場された、研究者である山田朗さん(明治大学教授、平和教育登戸研究所資料館長)が出版された『帝銀事件と日本の秘密戦』(新日本出版社、2020年7月刊)を早速手にしたので、この正月読み進めてみたというわけです。
当時の捜査陣は、犯人が残した証拠、犯罪の手口などから、犯人は日本陸軍の秘密戦(特殊な毒薬や細菌兵器の開発、訓練、実践)に深く関わる者の可能性が高いとして、軍組織の実態解明に力をつくしました。捜査員の粘り強い聞き取りの中で、秘匿されてきた(また、敗戦濃厚という事態にいたり各部隊が証拠隠滅をおこなってきた)組織の実態が1つ1つ明らかにされ、真犯人に迫っていく記録が細かく紹介されています。そして、組織の実態がおおよそ解明され犯人の実像にいよいよ迫ってきたところで、捜査が打ち切りになるのです。画家である平沢貞通氏が犯人とされ、逮捕されたからです。平沢氏は1955年死刑判決をうけるものの、獄中から無罪を主張し続けましたが、1987年95歳で死を迎えます。

731部隊をはじめとする秘密戦を総指揮した者たちには、戦争犯罪の裁きから逃れたいという思惑が、一方GHQ(アメリカ)には、日本軍が研究によって手に入れた毒ガス、細菌兵器の製造の成果をソ連に取られてはならないという事情があった。そこで、両者が取引「ギブアンドテイク」によって、秘密戦関係者ではない人物に罪を被せるという決着を強引に作り出したのです。

同書が基礎とした資料は、『甲斐捜査手記』といわれるもので、警視庁捜査一課の甲斐文助係長が残した、捜査記録の膨大な私的なメモです。これは、現在平沢貞通再審弁護団にわたされており、貴重な資料として保管されているものです。捜査当局は、関係する軍人や軍医などに丁寧に、粘り強く聞き取るなかで、生物・化学・謀略戦組織のほどんど全ての、その恐ろしいまでの戦争犯罪の実態を掴んでいました。

「帝銀事件」の犯人は、犯行当時、10数名の人々に何の疑問も持たせずに毒を飲ませるということをやってのけた。これは訓練されたものでなければできないような振る舞いです。事件後の当初発表では、青酸カリでの毒殺だとされましたが、同薬では一瞬にして人々は苦しみ死んでしまうために、多人数を毒殺する際には効きが早すぎて、危険を察して毒を飲まない者も出てくるのです。これでは全員を確実に殺すことができないのです。だから、この帝銀事件での毒殺は、効き目の遅い毒をもって犯行に及んだと想定されました。そして、そのようなことができるのは、日本軍の秘密戦組織しかないという事実に迫っていくのです。

聞き取りで掴んだ証言は、そのことを裏づけるものばかりです。日本陸軍組織は、敵軍や人民やスパイに疑問をもたずに飲ませられ、数分経ってから毒の効果が現れ、死亡しても死因が特定できないような、毒物の開発を日夜研究をしており、ついに「青酸ニトリール」という毒物を開発するに至ります。その開発のために、多くの抗日中国人やソ連兵捕虜などへ人体実験が繰り返されたという証言があちこちに出てきます。

日常の精神状態であれば絶対に起きないはずのことが、戦争という異常な時代にあっては、戦争勝利のため、アジア解放のため、鬼畜米英を粉砕するため、国を守るためという目的であれば、人権も倫理もいとも簡単に乗り越えられてしまい、人間を家畜以下の実験材料にしてしまうのです。

本書の後書きに、この事件が、下山、三鷹、松川事件が翌年に起きることとの対比で、GHQの介入問題以外は政治問題として扱われてこなかった側面があるが、しかし、そうではないのだと強調しています。虐殺行為に加わったものを戦争犯罪人として死刑に処しながら、一方で「それと同じ、あるいはそれ以上の組織的な残虐行為をあえてした人を免責し、その身柄を保護するというダブルスタンダートは、占領政策の転換(※「逆コース」と言われる)という地滑りがこの時期に始まったことを示している。そのように考えると、帝銀事件とその捜査、裁判というのは、まさに政治的な力学に翻弄されたものであり、平沢貞通はその最大の犠牲者だったといえる。」

『帝銀事件と日本の秘密戦』(新日本出版社、2020年7月刊)

同番組も、また同書も、政治の闇にメスを入れ真実をえぐり出す非常に意義ある内容になっています。国家的冤罪事件の更なる証拠や証言、アメリカの公文書解禁による新たな証拠が出てくることを期待したいところです。
闇に葬ろうとする力に対決し、平沢さんの無実の罪を晴らし、二度とこうした国家的犯罪を起こさないために、第20次再審請求の戦いがおこおなわれており、その勝利を願うものです。「帝銀事件」の研究の成果は、いくつかの書籍になっているそうです。


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