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今からで遅くない。男性こそ自覚的になること、学ぶこと/『これからの男の子たちへ』太田啓子著

『これからの男の子たちへ』(太田啓子、大月書店、2020)
「男らしさ」から自由になるためのレッスン 男の子に話そう、性のこと。

書名と帯のキャッチコピーからも想像できるかもしれません。子どもたちにはできる限り小さい時から、社会のジェンダー格差に対する自覚を促すように大人からのサポート・教育が必要ということが強調されています。しかし、男の子だけでなく、ぜひ大人の男性にも読んでほしいと思いました。「男らしさ」の呪縛にがんじがらめになっている男性に。それがどこまで受け止められるかはわかりませんが、自戒をこめて。

私たちは生まれた途端に男はこうあるべき、女はこうあるべきという世界に投げ込まれます。男子は泣いちゃだめ、弱音を吐いてはだめ。女子は大人しく、優しく。

男の子は、子どもの頃からスカートめくりで女の子を困らせ、それを周りの大人は「男の子だからそれはまあ当然」と、微笑ましいこどもの通過儀礼として見過ごされて成長します。女の子は嫌なんだけど仕方がないものと思わされて、反抗することも無駄だと諦めます。私の子どもの頃もスカートめくりをしたものです。そんなことは日常の当たり前の光景でした。
しかし、同書はそれは性暴力なのだと強調します。プライベートゾーンを触られたり見られたりすることは暴力なのです。「スカートめくり程度の些細」な問題なのか、「性暴力」として許されないものなのか、その認識の差は性暴力の溢れる社会に対処する力をつける上での分水嶺といってもいいかもしれません。

多数の人の目につく広告の中には、宣伝する対象とは全く無関係に女性の胸やお尻を強調した写真や映像が登場し、性的コンテンツとして消費されてきましたし、今日でもそうです。かつては、女性の裸がテレビ番組に(ドリフなど子どもが楽しんでみる番組でも!)普通に露出していましたし、女性ヌードカレンダーが大っぴらに職場に貼られるとかありました。そのことで多くの女性が苦しい思いをしたはずですが、それが「普通」の光景であり揺るがない現実であって、多くの女性が我慢を強いられ諦めさせられてきました。抗議の声をあげられるような空気ではなかったし、だからこそ男性もそれが問題であることにさえ気づくことなく無自覚を再生産してきたと思います。

町内など地域活動でも男女役割分担はまだ色濃く残っています。女性はお茶を出したり、まかないをしたりということになっています。町内会長を女性が務めることはほぼないし、方針決定をする重要ポストには女性はいません。せいぜい女性部長という程度です。民主的であるべき社会運動の内部でもそうした傾向は少なからずあります。私たちの党の活動もかなり努力してきているとはいえ、重要なポストに女性が就くことはまだまだ多いとは言えません。党員の男女比は大体半々なのですが、役員の中に占める女性の割合は、やはり低いのです。富山県党の場合は3割弱〜4割弱です(他党に比べて高いとは思いますが)。選挙という特殊で困難な活動になると、子育てや家事の仕事をこなしながら選挙活動に時間を割く事自体が相当な困難なことですから、客観的にもかなり厳しい現実があります。そうした現実においても、女性が活躍できるようにするために党としてどのような努力をすべきか現在真剣に模索しているところです。

日本の子どもたちは、性教育が極めて不十分な教育環境のもとで、暴力的な性表現を肯定的に捉えかねないような誤った情報が溢れるなかで生きています。その親たちも、性教育をまともに受けておらず、歪んだジェンダー観や誤った性情報のなかで生きてきた人たちなのです。子どもたち、とりわけ男子たちがこれからジェンダー平等を促進し、性暴力やセクハラのない社会を作り出す主人公として育つ環境をつくるには、相当の努力が必要だろうと思います。

太田啓子さんは、この社会で抑圧され苦しんでいるのは女性の方なのですが、一方で「男らしく」「強くならなければ」に囚われて、自分の弱さや弱点を言語化できないままに育ってきた男性もまた苦しみから解放されないといいます。私たちの身近でも、会議などで論理的に批判された際にその誤りを認められず、ついカッとなって喧嘩になるような場合はだいたい男性が原因です。そういう自覚をもてるような大人になれるよう、二人の男の子を相手に日々悩み葛藤しつつ実践されている、太田さんの言葉はなかなか重く、学ぶところが多いと思います。

20年を振り返っただけでも、先のテレビで女性の裸が映ることはなくなり、ヌードポスターなどすでに遺物扱いです。コンビニでの成人向け雑誌が不特定多数の人の目に入らないように撤去されたりゾーニングされるなどもしてきました。人々が、それは嫌だという声を様々な場面であげて抗議し、運動にしてきた結果です。
私たち世代(私は50歳)は、ずっと上の世代を「男尊女卑」甚だしいどうしようもない世代だと評論するでしょう。しかし、「スカートめくりぐらい、男の子のかわいいいたずらだよ」などという私たち世代を、より下の世代は、古臭いどうしようもない昭和人だと評論することになるのです。確実に。

<目次>

1章 男の子の日常にかかるジェンダーバイアスの膜
2章 男の子にかけられる呪い
[対談]清田隆之さんに聞く 男子って、どうしてああなんでしょうか?
3章 セックスする前に男子に知っておいてほしいこと
[対談]星野俊樹さんに聞く 多様性が尊重される教室をつくるには?
4章 セクハラ・性暴力について男子にどう教える?
5章 カンチガイを生む表現を考える
[対談]小島慶子さんに聞く 母親として、息子・娘たちに何を伝えられますか?
6章 これからの男の子たちへ
日常の中で出会う性・ジェンダーをめぐる「あるある」と「これってどうなの?」を検証!


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