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『盗撮をやめられない男たち』

『盗撮をやめられない男たち』(斉藤章佳著、2021年、扶桑社)を古本で入手し、読みました。

著者は、アジア最大規模の依存症治療施設・榎本クリニックで保健福祉部長をされている、斎藤章佳さん。精神保健福祉士、社会福祉士で、アルコールやギャンブル、薬物、摂食障害、性依存、万引きなどの依存症の治療されている方です。

同書の前書きには次のようにあります。

「本書は、依存症としての盗撮を扱った、おそらく日本で初めての本です。盗撮被害の実態や盗撮加害者の犯行様態、刑罰や治療・更生の現状など、盗撮について専門的に書かれた本は、私が知る限りこれまでありません。さらに盗撮を軽視・容認する社会的背景や、法の問題にも専門家を交えて迫ります」
とあります。


 一般には、歪んだ性嗜好者によって行われるのが「盗撮」であり、性欲を抑えられず犯行におよぶエロ男たちがやっているというイメージです。しかし、そうした単純なものではないというのです。「盗撮」は、依存症という1つの病気なのです。もちろん、病気だからといって盗撮者が免罪されるわけではないし、被害者の精神的苦痛が消えて無くなるわけではないのですから、その点は十分配慮し対処すべきです。だから、同クリニックでの回復・更生プログラムでは、絶対に再発させない(被害者を出さない)ためのさまざまな工夫が探究されています。依存症患者に対応する多くの知見があり、それを踏まえた具体的な再発防止対策には、「なるほど」と思うものばかりでした。詳しくは本書をお読みください。
痴漢やアルコール依存症などと違って、盗撮依存症は、問題にされにくい背景・容認される環境があると指摘しています。「盗撮されたのは露出度の大きい服装をしていたからだ」、「スカートを履いていたから、男性の性欲を起こしたのだ」という声が生まれます。「見られても減るもんじゃないし」などという声もあります。また、『ドラえもん』の描写の中で、入浴中のしずかちゃんが覗かれてしまい、覗いた側はちょとしたいたずら心でやったまでで、批判的に描かれてはいません。覗かれたしずかちゃんは、恥ずかしい表情をして「これは仕方がないこと」という感じで、その行為を受忍するかのような描き方がされています。のぞきや盗撮の犯罪性軽視、容認風潮を作り出しているといえます。


同書では、盗撮が、さまざまなストレスをきっかけに始まり依存症になることが多いと指摘しています。盗撮に手を出しやすくなるような環境〜AVの中で「盗撮もの」が普通に流通していたり、盗撮画像・動画がネット投稿されたり販売されるなどまるで普通のことのようなイメージがつくられていること、スマホの普及が誰でも手軽に撮影できるような環境をつくったこと、盗撮が痴漢に比べ対象に直接触れることがないために心理的にハードルが低いなど〜があることが特徴です。そして、成功すればまたやってみたくなる、スリルと成功が繰り返されると段々と依存症の深みにはまっていき、やらないといられないという状態になっていくというのです。駅の階段やトイレなどの環境要因で一瞬にして盗撮心理の状態に入ってしまい、「わかっちゃいるけどやめられない」状態になるといいます。当初は撮影して溜まった画像や動画をマスターベーションに利用していた人も、そのうち記録した画像をただ保存・コレクションするばかりになっていく人も多いそうです。
一方、加害者側の家族の苦悩についても触れられています。盗撮依存の男性が逮捕されるなどして事が発覚した場合、配偶者(や親)が大変な重荷を背負わされる現実があります。運良く同クリニックの治療にたどり着いた人たちは、再発防止のための自己コントロールプログラムを家族ぐるみで実践することができます。更生にむけて本人や家族の人生観が変わっていく姿も、詳細に記述されています。

「盗撮」は、性欲を抑えられないだらしない男の問題という捉え方では、正しい対策・抜本的解決が導きだされません。そうなると再発を導くことになり、結果として被害を拡大させることになります。厳罰主義や社会からの排除だけでは、解決がつかないと思います。「盗撮」行為が、依存症という病気によって引き起こされているということをきちんと踏まえたうえで、対策がとられるべきです。また、痴漢や盗撮が軽く扱われ、時には容認さえするような社会の現実があり、そのもとで、女性に対し、盗撮や痴漢、性暴力などの被害から常に身を守らなければならない緊張状態を強いていることを認識しなければなりません。そうした社会問題として盗撮問題をとらえ、解決の努力を強めなければなりません。
同書は、依存症問題で最先端の実践している専門家によって書かれたものであり、大変優れた内容です。より多くの方々に手に取って読んでいただきたいなと感じました。


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