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ジェレミー・リフキン著、『限界費用ゼロ社会』(2014)備忘

内容のまとめではなく、勝手な備忘メモ。(今後追記修正あり)

長く続いた封建時代の共同的社会は、資源や土地、生産手段の囲い込み=資本主義的私有によって終わる。資本主義企業は利潤最大化をめざして、原料ー生産ー販売を統一的・集約的に行い、規模拡大に邁進、垂直型の産業構造がこの社会の特徴となっていく。国家は、電力や公共交通、電信というインフラ構築を強力に推進し、資本主義の急速な発展を後押しした。(集中、大規模化が生き残りの道であり資本主義の特徴となる。大きいこと=競争力が高い、という「規模の経済」が特質)
しかし20世紀後半には、資本主義的生産のあり方そのものが、経済の成長の制限となっていく。生産力の発展につれて利潤率が下がるのは法則だ。

インターネットの開発と普及は、国、地域、人種などの違いをこえて多様な人々を結びつけ、あらゆる障壁を突破する。Wikipediaのように世界の個々人が持つ知識を提供し合い、検証して修正を繰り返し、深く正確な集合知の世界を作る。そこには、誰もが平等に、無料で情報資源にアクセスできるようになっている。オープンソースのOSやアプリが開発され、ネットワークで世界中に繋がった人々が協働しながらバージョンアップし続ける。基本的にそれらは無料である。水平的で、対等な情報共有のあり方が、規模の経済や私有に基づく市場での優位という構造を破壊していく。
3Dプリンタがあれば、もはや、素材を集めてきてをそれを削ったり付け加えたりなどの加工工程も不要で、在庫と保管が不要となる。機械設備を集約した大工場も、流通の中間段階も不要にする。何しろ、電力と3Dプリンタ、そして噴射する原料(素材)さえあれば、どこでもどんなものでも、必要な時に生産が可能で、在庫を持つ必要もなくなる。今や、部品、家、そして臓器まで3Dプリントできる時代に入っていく。電力を、コストゼロの太陽光や風力などを源にして様々な地域で自給できるようになれば、災害に強い分散型の電力システムになるし、化石燃料に頼らない電力供給システムが、温室効果ガス削減の巨大な力になる。
インターネットによる情報共有の高度化、AIの発達は、遊ばせているモノや資産を無駄なく活用できるような仕組みをつくり、シェア経済をつくる。必要な時に利用し、不要となったら別の人の手へと無駄なくモノが移動し、それを最後まで使い切ることができるようになる。

インターネットの発達は、いつでも必要なモノを限りなく安く(あるいは無料で)利用できる条件を広げる。大学の授業はネット配信でおこなわれ、誰にでも無料で公開され、世界の先進の研究へどこからでもアクセスできる。学費もかからない。何億という個人のスマホなどの端末からクラウドに集積されるビッグデータにより、人々がどんな思考や行動の傾向があるかを見通し、人々の需要の予測、流行りの音楽や次にヒットする曲の傾向までもがわかるようになる。必要なものを供給する効率的な物の生産と配分の条件を広げる。IoTであらゆるものが結ばれ、自動運転や流通の効率化も実現する。AIによって、生産に従事する労働者を限りなく減っていく。それは、労働時間の大幅な短縮をもたらし、人々に人間らしいゆったりとした時間を保証し、知識や能力の開発につながる。

必要なものが手に入る社会では、個人の所有欲・独占欲そのものが生まれる余地がない。物が潤沢にあり、その生産のコストがゼロに近づく社会では、資本主義を成り立たせてきた仕組みと、人々の観念がもはや時代遅れになる。

資本家が工場も原料も私有する社会である間は、資本家の利潤独占や利益最大化を許すが、分散した人々がそれぞれのやり方で必要とするものを必要な時につくり、世界の人々とシェアして必要な需要を賄えるような時代に入ると、資本主義の仕組みそのものが時代の桎梏となり、人々の「所有こそが豊かさ」という観念自体も生まれる根拠を失う。

再び社会は、資源と物を共有する社会になる。かつてのような生産力の低さゆえの共同と没個性が強制された社会ではなく、資本主義の発展の中で生産力の高度化とそれによる人々の中に勝ち取られた個性や自由、平等、人権を、さらに生かし発展させた共有社会という次のステージへと進む。
かつての人間同士の共感は村社会という狭い範囲に限られていた。そのなかでの強い絆が自然環境や他集団から村を守り、成り立たせていた。資本主義による土地や原料などの私有によって、その人間同士の共感し合う仕組みは解体され、巨大な市場経済を生み出す中で個々人が分断された。個人が個人を守る、財産を私有することで生きる糧を得るという社会になった。人間同士の共感の範疇が変わった。

しかしまた、資本主義のもとで破壊される人間性を擁護し、共同概念を守り、個人の営みを守るための共同の闘いも広がった。労働運動や社会保障充実の運動、市民運動などだ。それらが人間同士の共感し合う集団を取り戻すたたかいの1側面でもあった。インターネットの普及が、分断された個々人を再び結合する。共感は、地域も国も越えたネットワークでつながる全ての人々との間に生まれるようになった。この共感は、互いに他者の中に自分を投影し、痛みも喜びも共有するものだが、これが人間にとどまらず、地球上のあらゆる生物にも向けられる必要がある。地球の生物や資源を破壊し獲得し尽くしながら生産を拡大するこれまでの道では、人類が生存できない。この時代の我々には、地球全てのものへ共感できる、共生の思想が必要になる。

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