見出し画像

卑弥呼のトラウマ、日本のフェミニズム。

昨晩は大宮で仕事があり、その後画家の武盾一郎さんと飲んだ。

先週ぶりであるが、武さんとじっくり話すのは久しぶりである。

武さんは以前、レタルの『流れる線の調べと空白のシャツ』でコラボさせてもらってからの付き合いだ。

もともとは私が武さんの作品をTwitterで見て、是非コラボしたいです、とご連絡させて頂いた。

武さん曰く、そのときは本当にお金もなく、落ち込んでいたそうで、私が声をかけたことが、大変嬉しく、救われたところがあったそうだ。

私としては、ただ良いものを選んだだけで、全くそんな意図はなかったけど、そう思ってもらえていたことは有り難いと思う。

私もコラボの話とかは来るけれど、自分がいいと思った人としか仕事はしない。

そこは全く1ミリも妥協なんてしていない。

相手がお金がないからとか、あとは相手にネームバリューがあるとか、そんなことでコラボはしないようにしている。

武さんとはいつもアートの話や、イノベーションの話、マネタイズの話など多岐に渡り色々話せて面白いし、人生の先輩でもあるので、話をしてもらえることは有り難い限りだ。

昨日はここ最近ずっと話に上がるAIの話から、アートはどこに向かうべきか、そこから身体性やヒューマンエラーの話などしていた。

それもいずれまとめたいと思う。

それに加えて昨日は武さんとフェミニズムの話になった。

私には独自の謎理論が沢山あり、謎なわりに妙に説得力があるようなのだが、私は日本という国には「卑弥呼へのトラウマ」があるという謎理論があり、その話を武さんにしたら、興味を持ってくれた。

日本という国の最初の権力者は、歴史からすると卑弥呼ということになっている。

卑弥呼は独身を貫き、弟が彼女を助けたりしていたらしいとの伝承がある。

卑弥呼はその名の通り、巫女のような存在でシャーマニズムのようなもので国を治めていたようだ。

卑弥呼が亡くなってから100名以上が殉葬したとの記述もあるようだ。

卑弥呼亡き後、男性の権力者が立つものの、国は混乱し、戦争が起きて、数多くの人間が亡くなったらしい。

私は神話や三国志などに詳しくないのだが、卑弥呼は大変よく国を治めていたのだろう。

卑弥呼がもし夫を持ち、子どもを産んでいたら、この国はもう少し長い間、女性の権力者だったのかもしれない。

女性の権力者というのは、生物的には自然のようなことに思う。

出産能力のあるメスが強いケースは他の動物では数多くある。

しかし、人間はそれが逆転した。

現在私は、若桑みどりさんの『お姫様とジェンダー -アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』を読んでいるけど、そこでも、男性のモノの生産が、女性の再生産(出産)を上回り、数千年男権がある状態だと記載があった。

日本の神話の「イザナギとイザナミ」の話(武さんに教えてもらった)でも「男性が女性を誘わなくてはいけないものだ」と規定し、キリスト教はもっとエグく「女性はリンゴを食べた罪人であり、その結果子どもを産むことになる」とある(日本の神話とキリスト教には似たものがあるらしい)。

宗教や神話などは、男権を規定していくのだ。

結果、現在人間は大変多く人数がいる。

それは「男権を規定しないと繁殖しなかった」のかもしれない。

私は、日本には卑弥呼の時代に何かトラウマがあると思っていて、そこから女性権力者を避けるようになったのではないかと思う。

卑弥呼のトラウマは、卑弥呼が国を治めたことで国が混乱したからではなく、良く治められたことのトラウマなのではないかと思う。

卑弥呼の後任の男の王は混乱をさせ、戦争を起こしたことを考えても、卑弥呼は優秀だったのだろう。

しかし、卑弥呼がいた頃の日本は、男性の居心地が悪かったのではないか?

奇しくも昨日は宮崎駿の『もののけ姫』が出てくるが、あのエボシの治める国は、卑弥呼のいた時代の日本のようなイメージがある。

そして、今日卑弥呼を改めて調べたときに、卑弥呼は独身で子どもを持たなかったことを考えると、卑弥呼を良しとすれば生殖は行われなくなるだろう。

人間は、蜂やチョウチンアンコウのように生殖したら死んでしまうような生き物ではない。

私は、Amazonプライムビデオで観られる、みうらじゅんと山田五郎の『親爺同志』という番組が大好きなのだけど、二人は「セックスしたら、チョウチンアンコウのように死ねばいい」と冗談で語る(笑)。

人間の人生はそこそこ長く、狩猟採集社会から、農耕社会に変化した時点で、ある程度食糧をコントロールする術を身につけてしまった。

そうなると、子どもを産まない男性はやることがなくなる。

仕事もしないで生きていくには、人間の人生は長すぎるように思う。

それこそ居心地が悪い。

戦争というのは男権社会から発生している訳だが、戦争というのは暇から生まれているようにも思う。

最近いろんな男性と話す中で、ミソジニーが緩和し、男性というのが前よりもわかるようになった。

男性は常に他人と比べられ、競争させられるようだし、プレッシャーがかかる存在なのはわかってきた。

みうらじゅんは『親爺同志』の中で「男はオリジナルグッズを作られないから、収集したりする」と語っていた。

オリジナルグッズ=子どもということだ。

男性は、そもそも自分の存在に不安や手持ち無沙汰なところがあるんじゃないだろうか。

よく考えると、なんにも出来ない人程偉そうにしていたりするけど、偉そうにしてないと、実際は居場所を確保出来なくなる。

存在の耐えられない軽さは、女性ではなく、もしかしたら男性なのかもしれない。

日本はジェンダーロールが大変遅れており、時代の真逆を行こうとするところがあるが、それはもしかしたら日本の男性に「卑弥呼のトラウマ」があるのかもしれない、なんて思う。

#日記 #エッセイ #ヒグチトモミ #ヒグチトモミのつれづれ日記 #武盾一郎 #ジェンダー #ジェンダーロール #男権 #宗教 #神話 #卑弥呼 #もののけ姫 #心理 #みうらじゅん #山田五郎 #フェミニズム #日本

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?