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封印したはずのネガティブが「こんにちは」してきた時。

どんなことも今までの経験は、愛に気づくために用意されてきたものだ。と言われてもなかなか受け入れがたかったけど、どんな自分をも認めてあげること、丸をつけること、許してあげることができてきて、ようやく腑に落ちたかなーっと感じる。まだまだだけど。

それまではやっぱり、こんな経験なんてしたくない!なんで私ばっかり・・・もっとこうだったらいいのに!あーもう最悪!!

と思っていた。だって、傷つきたくない。笑
嫌な経験や苦くて辛い経験をするたびに、自分の生き方を責めてみたり、人の生き方に憧れて羨んで妬んでみたり、、、どうせ自分にはできないと僻むこともたくさんあった。そんなことをしたってもちろん好転なんてしなかった。だけど、否定して自分を守ろうとしてしまう。


一度起きた出来事に対して、あの時こうだったら今頃・・・と思うこともあったり、なんであんなことしてしまったんだろうと後悔してみたり、あんな感情を味わうのは2度と嫌だとあの頃の出来事に蓋をしてみたり。


自分の体験してきたことにポジティブな価値を見出せなくて、もうどうしようもないと決めつけていた。それに諦めていた。悲観的でいる方が楽だもん。


だけどそんな自分にある言葉が届いた。

いろんな体験、泥臭い感情も嫌だと思う感情も、いろんな悲しい辛い体験もすべて、どんなに惨めに思うこと、思い出したくないようなことでも、それを経験したからこそ、わかる愛ってあるでしょ??苦しみをわかることができるじゃん。その苦しみは、愛に気づくための出来事なの。何一つ恥じることはない。いろんな体験とその時の感情、すべて愛の人になるためのきっかけに過ぎないんだから。経験したからこそ語れる、心からの愛で。


ぼんやりとずーっと「愛に溢れた社会、愛の連鎖が起きる社会」というのがわたしのなかでずーっと心に灯されていることで、だけどそれに対する具体的な方法とかもなく、なんとなく思うことだからと、流してきていた。(社会って言ってるけど政治家にとかそんな壮大なものではない)

だけどなぜだか「愛」というのが自分にとってのテーマな気がしてはいて、それでも起きることのほとんどが「なんで?」というほど悲しい思いをすることが多くて、自分が良かれと思っていたことが悉くダメだったみたいな経験も多くって。


そんな経験に対して、大きな大きな罰をつけて、封印するかのように過去を閉ざしてきたけど、それはいつまでもいつまでも何かあるたびに

「こんにちは〜」って出てくるわけで。消えない。また出てきた、ひっこんでー!!と押しこんでもまたひょこっと出てくる。

この繰り返しをずーっとしてきた。けれどもうそれをやめることにした。
『経験したからこそ語れる、心からの愛で。』と言う言葉をきっかけに。


過去に起こったことは変えられないけど、自分の中に無理矢理しまいこんでいた記憶にしがみついている「負の感情」を塗り替えればいいんだ。


塗り替える方法は何か。それは許すことだった。

あの時あの瞬間の私はそれが良いと思って、楽しいと思って、正しいと思ってやったことだった。だけどそれがもたらした結果は気持ちの良いものではなかった。その時にすごい辛さを感じたかもしれないけれど、俯瞰してみた時には、その中に許せることってたくさんあるし、許してあげたほうが気持ちが軽くなるってことに気づいた。

突然にやってくる過去の封印を突き破り、ネガティブな記憶がこんにちはってした時は「出てくるな!ひっこんでろ!」じゃなくて、「出てきてくれてありがとう!やったー許してあげられる♡」と言う感じの軽い気持ちで向き合っていこうと思った。

そんな小さなことを少しずつ少しずつ繰り返しているうちに、「愛」がどんどん自分の中に、自分に対して、もっともっと芽生えるようになってきて、そしたら余裕が生まれてきた。小さなことでも愛っていっぱいあるわの実感。そしてこの暖かな気持ちを、この冷え切った世の中に、早く届けたい、染み込ませたい、と。

方法はわからないけど、そうしたいと思う自分にまた出会えた。
たくさんの経験が今の自分を作っている。
ネガティブさん、ありがとう。


chari










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