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助けて欲しいのは「いま」なのに

息子は、発達ゆっくりちゃん。
関係機関とのやりとりをすることが多いけど
そのたびに感じる心の声。

「いま話を聞いて欲しい。」
「いまの様子を見て欲しい。」


主要検査や病院は
最低でも3ヶ月先の予約は当たり前
「いま」感じている悩みと
その数ヶ月先の予約時点での困り感って
全くもって違う・・・
同じでもピークが違う、波がある。

「いま」辛いなって感じていたり
「いま、これで困っている」ことがある

その時にちょっとだけ手を差し伸べて欲しくて
ちょっとだけ寄り添って欲しくて
本当にちょっとだけ・・・・

だけどそれはやっぱり叶わないことが多い。
「ちょっとだけ」って気持ちは
やっぱりわがままなのか・・・
と考えることも多かったりする

「正式のルートとルールがある」
ということは
改めて突きつけられなくても
十分わかっている。
それでも・・・

「いま」助けてよ!!!
心の中では、そう叫んでる。


あまりにもそういうことばかりで
私の心はいつも
「仕方がないけど、何でもルールは酷」
「暖かく寄り添える世界だったらな」
そんなことばかり考えるし
同じように感じる人のために
何かできることはないかなとも思う

だから星よみとカウンセラーの仕事を
しているんだとおもう

あと、とっても地味に響くのが
『今のママたちは療育もあって
頼れる環境があっていいじゃん
昔なんかそんなのなかったんだから』

と先輩ママたちに言われること。
これは自分達の親世代に
『昔はこんな便利な育児グッズなんてなかった!』
と言われている時の感覚と
少し似ている気がする


文明の発展には感謝しているし
声を上げてくれた人たちがいるから
今に繋がっていることは感謝してもしきれない

きっとそうやってバトンが
どんどん繋がれていくんだとも思う

だからこそ、
『あの時はなかったけど今はいいよね』
に込める思いに
皮肉を混ぜないで欲しいと願うのは
私だけだろうか。
・・・私だけかも知れない。笑

私は、いま
療育現場で保育士をしている側面もある

なのでママサイドの気持ちが
痛いほどわかる

反対に現場の声というのも
痛いほど耳に入り
心はいつもグサグサに、えぐられる笑

組織だからこんなに理不尽になるだけだよね?

あまりにも「できない」「否定的」
な視点と選択肢に溢れているのは
組織としての規模が大きいからなのか
責任の所在を問われるからなのか

小さくやっていれば
こんなことにはならないのか

いつから人は愛を遠くに置いてきてしまったのか?

裏側まで見てしまうと
「ちょっとだけ助けて欲しい」がどれほど
否定的なのかということを
突きつけられる。
(ここで働くことを望んだのは私だから
仕方ないのはいうまでもないが)

現場としても
ちょっとだけに寄り添うことに
ルールがあったりするし、
責任を取れないなら余計なことはしてはいけない
という、仕方がないことだけれど、
決まりがあるために何もできない現状もある

自分自身でもセルフケアを学び
精神世界のことも星よみも
目に見えないからこそ大切にしたいことを
知れば知るほど

この狭さと枠組みとルールの中に縛られる現状を
どうしたら越えられるのだろうかと
日々、模索していたりする


今あるものや方法がすべてであるかのように見えるけど
それ以外にもたくさん可能性があると信じているし
それを見つけて作り出していきたいと
なかなかの大きな野望を抱えていたりもする笑

「ちょっとだけ」に寄り添えること
どういうことができるかな
そんな妄想をしながら

chari



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