RANKO

1974年生まれ。職業は飲食系、営業事務、現在は親戚の会社(製造業)に勤務。夫婦二人暮…

RANKO

1974年生まれ。職業は飲食系、営業事務、現在は親戚の会社(製造業)に勤務。夫婦二人暮らし。文章を書いたりまとめたりするのが好きなので趣味的として日々のあれこれや思うことを綴りたいと思います。

最近の記事

#10 なにが失敗だったかなんて今さらわからないけれど

~ここまでのあらすじ~ 叔父が経営する工場。事業継承問題には、突然会社に来なくなって2年たつ一人息子(=いとこ)の存在があった。引きこもりになったいとこを「私」と「姉」は救出しなんとか実家に戻すことになったが、それで解決というわけではなかった。不労の息子。宙ぶらりんになったままの後継者問題。 姉と私はこれまでのことを反芻し、これから自分たちになにができるのか、親子と会社の望ましい未来はどうあるべきかを考えていた。 在籍した5年間 これは姉から聞いた話の範囲にはなるが社長は

    • #9 孤独のドアを開けて

      ~ここまでのあらすじ~ 叔父が経営する工場。社長が70歳を迎えても後継者が決まらない問題には ある日突然会社に来なくなって2年たつ一人息子(いとこ)の存在があった。 借金も限界にきて家賃も滞納しガリガリに痩せて引きこもっていると聞き「私」と「姉」は救出に動き出す。 会社に戻ると言い出す息子、転居先を決めたが・・・ 「あいつから電話があって出社するというので近くに越すように話した。」と社長。静かな面持ちで嬉しいという様子ではなかった。 「えっ!よかった!とりあえず一安心です

      • #8 うちの社長はスーパーマン

        ~ここまでのあらすじ~ 家族経営の町工場。社長が70歳を迎えても後継者が決まらない問題には 一人息子の存在があった。事業継承を考える上で、ここがハッキリしないと前に進むことができない。「私」と「姉」関係修復の道を模索し始める。 なんとかもう一度だけ息子の借金を返してあげてください。 引っ越しをして、ちゃんと食事をさせて、健康な生活を送らせて、 今度こそ借金しないように管理して、少し会社にも来させて、 少し話し合いをするまでに時間をあげてください。 そう頭を下げて待つことにな

        • #7 もう一度、受け入れ態勢を整える

          ~ここまでのあらすじ~ 家族経営の町工場。社長が70歳を迎えても後継者が決まらない問題には 一人息子の存在があった。5年勤めて突然消えた息子が宙ぶらりんになって前に進むことができない。まず息子に後を継ぐつもりがあるのかないのか、はっきりさせようと話をするとそれ以前に「障壁」があったことがわかり、「私」は「姉」とともに息子の復帰への道筋を模索し始める。 姉「そんなことが…。そう言われると思う節がありすぎるよ。」 私「うん。社長の息子はASDで間違いないと思うんだ。そこを理解し

        #10 なにが失敗だったかなんて今さらわからないけれど

          #6 掘って掘って、つなぎあわせて、気づいたこと

          「久しぶり、こっちこっち。」 法事や新年会で1年に1回くらいは会うことがある私のいとこは、6つ年下。 小さい頃はよく一緒に公園にいったりトランプしたりして遊んだ。 今となってはお互いもういい年になった。 しかしこうして居酒屋で二人でじっくり話をするなんて初めてのことだ。 適当にオーダーを済ませると、私は話を切り出した。 「私は今日、誰かに頼まれてきたんじゃないし、何か言いたいことがあるのでもない。ただ、ユウちゃんの話を聞きたいんだ。話せる範囲でいいから、話してくれるかな

          #6 掘って掘って、つなぎあわせて、気づいたこと

          #5 キング・オブ・ニート

          ~ここまでのあらすじ~ 「姉」に手伝いを頼まれた「私」が、「叔父」の経営する会社で働くようになり、後継者問題に悩んでいることを知り、2年前に突然バックれてしまったという「叔父の息子=いとこ」が今や家賃滞納までして引きこもっているという話を聞いて、彼に直接話をしに行くというところである。 まず会う前に情報をまとめるべく彼のここまでの経緯をメモ。 19歳~27歳 大学生 28歳~30歳 フリーター? 31歳~35歳 叔父の会社で働いていた 36歳~現在 突然来なくなって2年、借

          #5 キング・オブ・ニート

          #4 後継者問題

          姉から社長息子の危機的状況を伝え聞いてから私が最初にしたのは、 社長とサシで飲むことでした。 まず先に、社長の考えを聞きたいと思ったからです。 叔父(社長)のいきつけの店で待ち合わると、カウンターの大将に向かって小指をピンと一本立てたハンドサインで 「コレじゃないからね?姪っ子よ、俺の姪っ子♪」なんて聞かれてもいないことを嬉しそうにやっている姿は(自分の年齢わかってんのか・・・?) 実にこっぱずかしい昭和のノリのですが、身内としては可愛くもあります。 叔父はどことなく嬉し

          #4 後継者問題

          #3 姉の心配事

          母から経理を引き継いだ姉に臨時の仕事を頼まれたわたしは週に1回、 姉と一緒に親族(叔父)の会社に通うことになりました。 遠い記憶にある数人でやっていたあの頃の小さな町工場と違い、敷地面積も従業員数も4倍ほど増え機械も新しく大型のものが増設されていましたが、ほとんどが古めかしく昔のまま、ハード面もソフト面も昭和のままでした。 古参の従業員にはかつての幼かった私を知る人もいて、どこか懐かしく、 たまの手伝いでも自分にできることで何か少しでも力になれたらと思っていました。 久し

          #3 姉の心配事

          #2 母の形見

          姉に頼まれて叔父の会社に週1回のペースで顔を出すようになってから 日々懐かしいものによく遭遇しました。 移転してもなお変わらず昭和のにおいがたっぷり残った事務所には、 亡くなった母の思い出がたくさん残っていて、 母が使っていた机、文房具、 古い帳簿にいまだ残る母の文字、 わたしが子供の時につかってた下敷きや定規やキーホルダー(?!) 「こんなところで使われてたなんて」と可笑しいやら苦笑いやら。 母はここで30年間働いてきたのだ・・・ 母と、二人の弟たちと、三人で築き上げ

          #2 母の形見

          #1 わたしと町工場

          はじめに これから始める記事はわたしの親戚が40年営んできた小さな会社にまつわる出来事を、自分の気持ちをひとつずつ整理するために綴ったものです。 ================================= まだ年号は昭和の頃。幼少期の私が住んでいた町にはあちこちに町工場が あって学校の帰り道にはいつも、トンテンカンテン、ギーッ、シャーッ、 パタパタ、ドドーンッ! そんな音が聞こえてきました。 軒先からちらりと見える中の世界は薄暗くて、 あぶなっかしいモノたちが無

          #1 わたしと町工場

          自己紹介

          「はじめての記事は自己紹介やこれからやりたいことを書くのがおすすめです」と親切に教えて頂いたので、あまり得意ではないのですが、自己紹介に挑戦してみようと思います。 私がこの世に生を受けたのは19XX年、一般的なサラリーマン家庭の末っ子としてごく普通に育ちました。 大学を卒業し就職するころはいわゆる就職氷河期で多少苦労はしましたが、3度目の転職でやりがいある仕事に就くことができ、生涯の伴侶も得、10年勤続ののち36歳で退職。 こどもはいませんがパートや趣味を楽しみながら夫婦仲

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