パリ軟禁日記 31日目 僕たちを連れて帰って
2020/4/16(木)
誰かのために置かれた、誰かの本。
それは段ボールに入れられた捨て猫のように、主人が来るのをじっと待ちわびていた。プラタナス が立ち並ぶ通り沿いに、ぽつぽつと設置されたベンチの一つにそれはあった。僕はそれをランニング中にたまたま見かけ、一瞬何なのかわからず、一度通り過ぎてから戻って何なのかを確かめた。
大きめのジップロックの透明な袋に何かが入っている。手紙のメモのような紙が上にあり、その下に本が3冊入っていた。僕は家路を急いでいた。外出禁止令のため19時以降の運動しかできなくなり、その分、夕食を食べる時間が遅くなった。早いところ帰ってシャワーを浴びて夕食の支度をしないといけない。ノートの切れ端に書かれたフランス人の手書き文字をすぐさま読み取ることもできなかったし、僕はその場を立ち去ることにした。そもそも誰かがうっかり忘れたもので、取りに戻ってくるかもしれない。自分の忘れ物をジロジロ見られるのはあまり快いものではないだろう。
それでも何か引っかかるものがあった。メモの筆致がそう思わせたのかもしれないし、「ジップロックに入った本」という普段見ない組み合わせが新鮮だったからかもしれない。「フランス語の勉強にもなるかもしれない」そうとも思い、ひとまず携帯電話のカメラで写真を撮り、その場を去った。ちょうど20時のタイミングで、医療従事者に対する感謝の拍手が鳴り響いた。よく前を通る、ある南米国家の大使館の上階のバルコニーから拍手をする人が見えた。そこにも人が住んでいるのだ。
家に帰って落ち着いて、写真に収めたメモ書きの内容を読んでみた。DとNとVのクセが強い文字だった。以下のことが書いてあった。
―――――――――――――――――――――――――
僕たちを連れて帰って。僕たちはあなたが素敵なひと時を過ごすことのお手伝いができます。
僕たちは健康です。僕たちがこうやって包装してあるのも、より安全であるためです。
さあ、こちらの作品たちです。
『黄金の羅針盤 (ライラの冒険シリーズ (1))』(フィリップ・プルマン)
『神秘の短剣 (ライラの冒険シリーズ (2)) 』(フィリップ・プルマン)
『天国でまた会おう』(ピエール・ルメートル)
よい読書を。
―――――――――――――――――――――――――
パリでは読み終わった本を置いておく棚というものがスーパーにある(気に入ったものがあれば持って帰っていい)。けれども、わざわざ手書きでメモを残して、こんなベンチに置いておくなんて、詩情を感じずにはいられない。何より、粋(いき)であった。こういうのをエスプリが効いてるというのかもしれない。どうして連れて帰って来なかったんだろう!ピエール・ルメートルのゴンクール賞受賞作だと知っていたら持って帰っていたのに。
今日、同じベンチの前を通りかかったけれども、本たちの姿はなかった。きっと本好きの誰かに拾われたのだろう。幸せになるといい。多くのフランス人が紙の本を未だに好きな理由がよく分かる。紙の本は旅をする。人から人へ渡り、自分たちの中には含まれない物語を携えて。
どうしてだろう、僕はまたあの本に人生のどこかで出会う気がする。全く同一の本でなくとも、彼らの家族のような本たちに。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?