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パリ軟禁日記 27日目 外国語小説と異国の山

2020/4/12(日)
外国語で小説を読むことは、異国の山を登ることに似ている。
単語は一本の草花であり、岩であり石。文章は小道、章の切れ目は見晴らしの良い休憩地点だ。登山道が整備されている山もあれば、獣道を行く険しい山もある。外国の山を登る時は、目印も周りの登山客も異国の人。そんな見知らぬ土地であっても大丈夫。僕たちは何をすればいいか心得ている。一歩一歩、踏み出して進むのみ。

異国の山は高度も気候も日本のそれとは異なる。何より「言葉」という特殊な登山靴を準備していなければ足元がぬかるみ、前に進むことができない。この靴の厄介な点は、既製品を買うことも人から借りることもできず、自分で一から作らないといけないことだ。軽くて丈夫で防寒処理も施した登山靴を作ることは時間もかかるし骨が折れる。

翻訳家という現地ガイドを雇って案内してもらうことはもちろん有効だし、一般的だろう。自分一人で登ったのでは知る由もなかった草木の名前や、歴史や逸話を教えてもらえるという利点は大きい。ガイドが優秀であれば僕たちの登山体験はより豊かになり、忘れられない体験になることは間違いない。

僕はガイドさんと上るのも好きだけれど、やっぱり自分の靴で登ってみたくなる時がある。自分の五感で周りの空気を、景色を感じたいし、最終的にことを成し遂げた時の達成感が何ものにも代えがたいからだ。そして今、僕はフランスに来てから作った靴で一人、カミュ・ルートに沿ってアルジェリアのペスト山を登っている。僕の靴は一応靴の形をしているけれども、耐久性に問題があるし、穴も空いていて靴ずれもひどい。それでも、辞書というガイドブックがあれば、歩みは遅いなりになんとか歩いていくことができる。
今ちょうど五合目を過ぎたあたり。道はなかなかに険しく、得体の知れないモノに出会ってひるむことも多かった。辞書を頼りにとにかく前に進んだ。きっと多くのことを見落としてきたにちがいないし、勘違いもしているだろう。それでも構わない。ここまで滑落することもなく辿り着けていること自体、着実な自信につながっている。そして、あと半分行けば新たな景色が待っているのだ。

目の前の道を進む時、人は色々なことを考える。結局のところ、登山の楽しみはそういうところにあるのかもしれないとも思う。頂上からの景色だけが見たい人はフェリーやヘリコプターを使えばいい。歩きながらそこに存在する動植物を見て思うこと。果てのない地平線に目をやった時に去来するイメージ。こういった愛おしい瞬間が訪れれば、その登山体験は大いに成功したと言えるのではないだろうか。

僕たちは情報ではない何かを求めて小説を読む。ありふれたメタファーを添えて、ここに記す。

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