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パリ軟禁日記 55日目  ロックダウン最終日に思うこと

2020/5/10(日)
 単調で彩のないこの生活を、いつの日か懐かしく思い出すことができるのだろうか。

 昼過ぎに、少し離れたアジア系食材のスーパーに買い出しに行った。扉を出る前に、スマートフォンに外出証明書をダウンロードする。もう明日からこいつを気にする必要がなくなるのかと思うと、心が軽くなった。一度ダウンロードしていないことに気づいて、冷や冷やした日もあった。明日から、好きな時間に外に出られるという「当たり前」が日常に戻ってくる。
 うどんとラーメン、下処理済みの肉類でいっぱいになったショッピングバッグを引いてアパルトマンに戻って来た。シャワーを浴びて、携行品を消毒した。ふと、なんだか、心の中が空っぽになっていた。幸せでも、つらくもない、完全に真空でニュートラルな状態。ああ、僕は疲れているんだな。少し横になった。

 外出禁止、最初の1週間。台風が来た時にやたらとワクワクして外に行きたくなる子どものような、無知に基づく無邪気さのようなものがあった。非常事態における、ある種の躁状態。それから2度の外出禁止延長があり、日常のルーチンに疲れ出し、深みに嵌った時間帯もあった。
 そして、今、僕はその真ん中にいる。明日からどうなるだろうか。今より世の中はマシになるだろうか。それとも経済は崩壊し、第二波パンデミックが吹き荒れ、更に困ったことになるだろうか。答えは誰も知らない。そう思うと、プラスでもマイナスでもない今の心持ちは、軟禁生活の最終日の精神状態としては悪くないものに思えてきた。

 これまでの日記を読み返してみると、もう忘れかけていた当時の気持ちが蘇ってきた。逆に言うと、2ヶ月前の記憶は早くも薄れつつある。55日。短いようで長い日々だった。
 日記はよく続いた。書けない時は休んでいい、と自分の中で決めていたけれども、結果として1日も欠かさなかった。後半戦は安定して約1200文字、原稿用紙3枚分を2時間で書くことが続いた。正直なところ、自分の中で「こうすれば書ける」「こうすればアイデアがひらめく」と僕が信じてきたパターンは途中でまったく機能しなくなっていた。それでも言葉を捻り出す作業は、新たな境地に近づいたのかもしれない。

 筆が進む日もあれば、そうでない日もある。朝が来て、また夜が来るようなリズムとうねり。浮き沈みは人生につきもので、これまでもそうだったし、地球が太陽の周りを動き続ける限りこれからもそうなのだろう。寄せては引く、波の音が聞こえるようだ。突然、郷愁の念に駆られた。今日は母の日だった。携帯の画面には母が受け取ったカーネーションと蘭の花が咲いていた。

 現時点、フランスでは2万6千人以上の方が亡くなった。まともに葬式も上げられなかった人が多くいたのではないかと思う。そんな中でもリスクをとって働く人々がいる。パリ市はその働きを称え、彼らの姿をエッフェル塔下のスクリーンに投映した。報道関係者と、一部の通行人を除いて誰もいない。霧深い、灰色の空の下で300メートルの鉄塔はキラキラと輝いていた。

 明日の天気も雨。日付が変わる頃に何かが起きるだろうか。はじまりが静かだったように、ひっそりと朝はやってくるだろう。一度殻にこもる経験を経て、僕たちはまたイチから社会との接点を築いていく。ウイルスとの闘いはまだまだこれからも続くけれども、期待と不安を持って僕たちは街に出るだろう。会いたい人にだって、会えるようになるんだよ。

 外出禁止が解かれても、僕の1日のリズムには大した変化は見られないはずだ。在宅勤務は少なくとも今月いっぱい続く。僕が好きな映画館は閉まったままだし、テニスもお預け。それでも、行きたい場所や会いたい人がいる。やっぱりこれは希望ってやつなのかもしれない。

 中庸にあった僕の心が空を仰いだ。
 その光が暗闇からの出口となるか、羽虫を焦がす死の炎かは分からないけれども、少なくとも僕は前を向いて歩くことができそうだ。

 雨の滴が垂れる音しか聞こえない、静かな、静かな夜だった。

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