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【小説】『エニシと友達』9/12

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(12回中9回目:約2500文字)


『おい。おい君、起きるんだ』
 揺さぶられ頬も軽くだが叩かれて、エニシは目を覚ました。そしてギョッとする。まだ夜中らしい暗がりに、厚手の迷彩服を着て顔の大部分をヘルメットやゴーグルで覆った、見知らぬ男性達がひしめいていた。
『静かに!』
 叫ぼうとした気配に気付かれて口を塞がれる。ゴワゴワした手袋からは油っぽい臭いがした。
「ダイジョウブ。ワタシ達は、君の、ミカタだ」
 発音が多少違っているが、この家の言葉で、意味は取れるけれど分からない。
「味方……?」
 目をやった隣のベッドにいるはずのミルカは、床にうずくまってまた別の男性から話しかけられている。
『落ち着いて。奥さん。時間が無いんです。行きますよ』
 エニシからも見て取れるくらいに震えて、涙を散らしながら首を振り続けている。
 その先に見える自分のベッドの足元には、うつ伏せに横たわった両足があって、靴やズボンからデルタだと分かった。
「行こう。ワタシ達は君とお母さんを、タスケに来た」
「どこ。どこに行くの?」
「ここよりもっとカイテキでセイケツな、いい所だ」
 パジャマ姿のまま引き起こされて、ほとんど何も持っては出られなかった。動揺しているミルカに代わって何かあったら持ち出すようにと言われていた、枕元のバッグを引き掴んだくらいで、デルタはどうして床に寝そべったまま何も言っては来ないんだろうと、部屋から押し出される寸前に振り向いて男達の隙間を覗いたら、
 デルタの頭が半分ほど血に肉を飛び散らせて無くなっていた。
 車に乗せられて、遠ざかって行く家の方角から破裂音が届いた。銃声だとこの辺りの人々には戦争以前から身に馴染んでいる。爆発音もして遠くになった家の影から炎も立ち上がって、そうした音が鳴る度にミルカが身を引き裂かれるみたいな悲鳴を上げた。
『さっきから、こんな調子でまともにしゃべらない』
『言葉を知らないのか』
『まさか。あの人の奥さんだろ』
『怖すぎて声が出せないんです』
 男性達が幼い声で語られる自分達の言葉に気を引かれた。
『君、しゃべれるのか』
『奥さんが、こっそり教えていたんだな』
『いいえ』
 ミルカが震えながら顔を覆ったまま伸ばして来た、もう片方の腕を、エニシは手に取って身を寄せた。知らない男達に取り囲まれるとか、ミルカには、どんな状況でも二度と堪えられないに決まっている。
『こっそりとかじゃなくて、覚えても、教えてって言っても別に、嫌がられませんでした。だって、お母さんの国の言葉だから』
 さっきからミルカの唇が、「エニシ」の形を作るけれど、声に出しては呼べずにいる。
『ボク、マイクって言います』
 この国らしくも自分達の国らしくもない名前に、男性達は首を傾げた。
『フォネティックコードかな』
『はい。お母さんがミルカだからMを取って』
 適当くさいのか多少の情は感じるのか、判断できずに皆微妙な表情でいる。
『はっきり教えて下さい。ボク達これからどこに連れて行かれて、どうなるんですか?』

 要するにミルカの集落が、属している国家の軍隊が、戦争中に連れ去られた人々を救出する作戦に踏み切った。
 戦争そのものは数年前に終結していたものの、市町村規模ではなく、国家間での対応が期待できない個人の連れ去り事件に対しては、時間に人員を割けずにいた。証拠に分析結果が揃わず、泣き寝入りとなるケースも少なくない中で、フォンダは、ミルカの夫は、戦争中に多大な功績を認められていたために、なおざりには扱われなかった。
 幸いだったと初めて顔を見る多くの人々が繰り返した。
 ミルカは移動中もどこの誰の前に出されても、泣いてばかりいて、人々からの笑顔やねぎらいの言葉には顔を背け、エニシの手をずっと痛いほど握り続けていた。
 病院で検査を受ける間だけは、エニシは部屋で待っているよう言い渡されて、長い時間が経ってから戻って来たミルカは、すっかりやつれて老け込んで見えた。
 細かく震えて青ざめて、何もしゃべらなかった。ずっと泣き続けていたからおなかの子は、いなくなってしまったんだと、ミルカの首に腕を回してエニシは抱き付いたけれど、ミルカが泣けもしないのに今ここで自分が泣くのは、どうも良くない事に思えて泣けなかった。
 そしてその次の日に初めて、フォンダに会った。
 背が高くて、男前で、着ているスーツに靴も高そうで、服のシワやちょっとした小物にまで気を使っていて笑顔も整っていて、だけど、エニシを見下ろした目の色が、ひどく濁っていてペトラを思い出した。
「ミルカ」
 声を掛けられたミルカは椅子に座ったまま、ただただ震えていて、
「許して……」
 と消え入りそうな声で繰り返し、呟いていた。
「誰も、君を責めてなんかいないよ」
「そんな……、そんなつもりじゃなかったの。だって……、誰も、助けてなんかくれないんだから……、私、自分で自分を助けてたのに……、それで全然、構わなかったのに……」
「うん。ひどい目に遭ったね。ミルカ。だけどもう、終わったんだよ」
「君、ちょっと外に」
「え」
 フォンダと一緒に入って来た人達から、エニシは声を掛けられた。
「気を、使いなさい。夫婦二人きりで、過ごさせてあげよう」
「待って!」
 立ち上がり前に進もうとするミルカを、立ち塞いだフォンダが押し留めている。
「連れて行かないで私の子! 私の子供よ。お願い引き離さないで!」
「別の部屋で彼からも、話を聞くだけですよ。奥さん」
「イヤ! その子は私の子よ! 私の子なの! 愛したって、可愛がったっていいじゃない。だって、他には誰もいなかったんだから! 私は異常じゃない。私は異常じゃない。私は異常じゃない! って言うより異常って何なのよぉっ!」
 気の毒な事にエニシ以外の誰の目にもミルカはまさしく錯乱した様子に見えた。
「お母さん」
「ほら。外に出るんだ。まずは落ち着いてもらわなければ」
 連れ出されてまだ泣き叫ぶ声が聞こえ続ける部屋の扉を閉められて、エニシが生きて動いているミルカを見たのは、それが最後になった。

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