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【小説】『エニシと友達』10/12

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(12回中10回目:約2300文字)


「マイク」
 声を掛けられて一瞬、自分の事に思えず返事が出来ずにいると、
「え。あ、はい」
 人目に立たず音も響かないような角度で、腹に拳が食い込まされる。
「名前を呼んだら、返事をするんだ。マイク」
「はい……」
「声が小さい」
「はい!」
「いけないな」
 そして音は鳴るものの痛く聞こえない首筋の平手打ちに切り替えてくる。
「場所柄を弁えなさい。適切な、声の大きさというものがあるだろう」
 周りからのクスクス笑いも聞こえる中、整ってはいるけれど目の色は濁った笑顔が、見下ろして来る。

 ミルカはあれから精神に異常を来し、自ら命を絶ったと聞かされているけれど、エニシは嘘だと思っている。自分を残してミルカが、そんな事をするはずがない。お父さん達と、あの家にいた頃のミルカだったら。
 とは言えエニシ、いやマイクの意見などは、許されない以前に誰からも相手にされず、フォンダの元で教育をやり直される事になった。
 幸いだ、良い人に機会に恵まれたと、顔をようやく見覚えた程度の人々は繰り返した。
 表情も声も言葉の選び方も、フォンダが適切と認める範囲に制限され、少しでも怒りや悲しみを見せれば「父親達の教育」を嘆かれた。このままでは母親のようになりはしないかと、涙を落とすフォンダに人々は同情を寄せる。
 葬儀を終えたならミルカの死を知らせに、集落に帰ろうと、お母さんの故郷だよ自分の目で見たいだろうと言われてマイクは、「はい。ぜひそうしたいです」と声色もはきはき答えるしかなかったが、
 父親達が悪行を繰り返した国境付近の集落群だ。どういった視線に表情を向けられるかくらい分かっている。
 しかし怖くはない。最悪なぶり殺しにされたとしても、お母さんとお父さん達がいる所に行ける。それよりフォンダの隣でこの先も、続いて行くかもしれない一日が一時間が一秒の方が恐ろしい。出来る事ならもう一呼吸だってしたくもないくらいにだ。

 車の後部座席に乗せられてマイクは、きちんとシートベルトを締めて背もたれにはもたれ切らずに、両膝もまっすぐ揃えて座っていた。どれ一つとして少しでも乱すと、悪い評価に受ける罰が積み重なる。
 車の窓から見える景色は自然そのままで、長く対向車すらいなかった。
 すると後部座席の隣に、やわらかな光が広がるのを感じて、目線だけを移した先には白い服を着て、これまでに見たどの時よりも美しく思える、ペトラがいた。

 -- 前を向いて。

 声も澄んだものに変わっている。

 -- 声は出さなくても大丈夫だから。
 -- そうだったね。

 涼しい顔を保ち続ける事には物心ついた頃から慣らされていた。

 -- ミルカは、フォンダに殺された。
 -- 知ってる。だけど……。
 -- だけど?

 この国に移ってからは誰も彼もが、父親達の死を祝い喜べと言う。

 -- フォンダは、ミルカの夫だったんだよね。
 -- そうね。
 -- フォンダは、だから、酷い目に遭わされたんだ。
 -- そうね。完全に被害者、
    ってフォンダは思っているでしょうね。

 声はともかく口調までは澄み切って聞こえない事に、マイクは安心した。

 -- 何も、悪い事なんかしていない。それどころか、
    敵地に赴いて、勇敢に戦い抜いて来たのにね。
 -- だから、じゃあボクは、何も言えないのかなって。
    フォンダから、この国の人達から、どう思われても、
    どう扱われてもそれで、しょうがないのかなって。
 -- エニシ。

 久しぶりに聞く自分の名前は予想以上に胸を打った。

 -- よく聞いて。
    私達って、どこかの誰かのモノだった?

 疑問の形は少なくとも心にYESかNOかを思わせてくれる。

 -- 国のモノ? 家のモノ? 
    親のモノ? それともフォンダのモノ?
    まさかアイツらのモノなんて言わないでよね私には。
    モノみたいに、私達を思っているからみんなして、
    奪い合ったり、
    奪われたらもう見下していいみたいに思ったり、
    奪い返し切れなかったら殺したいくらいに、
    腹が立ったりするんじゃないの?

 対向車が少しずつ増えてきて道路の先には街が見えてきた。

 -- フォンダはあなたを許さない。

 ペトラの顔が自分を向いてきた事が分かる。
 こっちは姿勢も崩せないのにずるい、と思った。

 -- 自分で手を下しはしないかもしれないけど、
    あなたを一生、
    どう扱ってもいいモノだと思い続ける。
 -- だけど、だけどそれってペトラ、
    ボクは、どうしたらいい?
 -- 私が、訊いているのよ。エニシ。
    あなたは、どうしたいの?

 YES、NOでは答え切れずとっさには固まりづらかったが一瞬だけだ。気持ちをぶつけた瞬間に、
「ん」
 とフォンダが小さく声を上げた。
 車を道路脇に寄せ停めて、フォンダは自分だけ車を下りるとすぐロックを掛けた。屈み込んで後ろのタイヤを覗いているところを見ると、どうやらパンクらしい。
 マイクには特に説明も無く、修理を呼ぶために電話を使いに行く。自分でも直せるのだろうが、服を汚したくはない。それにこうした時のために入っている保障だ。
 フォンダが背を向けた瞬間からずっと、マイクは後部ドアのロックを見詰め続けていたのだが、フォンダの姿が遠ざかり、電話も使い出してきっと追い掛けるのが遅れると思えたあたりで、
 ロックが外れた。

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