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【小説】『マダム・タデイのN語教室』9/10の中

(10回中9回目の中:約4200文字)


「一人で長い時間を過ごして行けば、僕もきっと父のように、都合の良い家族を求めたり、僕みたいな子供を作ったりするんだろうって、それが僕にはおぞましくて、ちょうどそばには父が、連れ帰ろうとしていた子供がいた。父が僕に変わるだけです。罪悪感を持っているなら悪いけど、利用できる」
 眉をひそめてしまった私に気付いて、目線を向けてくる。
「初めの内だけです」
 笑みは、見せないんだと思った。ここで笑みでも浮かべれば多少は印象が良くなる事を知っているから、かえってその程度のごまかしに、意味は無いと思っている。前から気付いていたけどこの人、気の毒なくらい正直。
「三ヶ月も過ごせば、と言うのも僕は父が連れて来た『家族』の誰とも、三ヶ月を越えて、一緒に暮らした事がありませんでしたから、三ヶ月程度の親しみしか知りません。三ヶ月以上が半年に、一年になって、大切に、特別に思う気持ちが増して行くと、罪悪感は僕が持たせたものですが、邪魔です」
 どの口が言うてんねん、とツッコミたくなるけど先に本人が言っちゃっている。
「無くなってもらいたい。せめて、弱まって行って欲しいとは、ずっと、思っていました。仰る通りステファニーは、何もしていない。彼女が気に病む必要は、本当は、何も無いはずなので……」
 申し訳ないけど正直に語られ続けると、ホンマか? ってちょっと呆れてきた。
「本気で説得する気が無かったんじゃないの?」
 心外! って聞こえてくる勢いで、こっち向いてきた。
「今までウソついてたって、バレて嫌われるのが怖いから」
「嘘、をついてきたつもりは、僕には……、僕にもあの時何が起きたのか、理屈の通る説明が出来ないんですよ」
 正直が過ぎる。理屈の通る説明が出来なくて、理屈の通らない思い込みがまかり通っちゃってるじゃない。この人って本当に、ウソの利点とか効能とか、全く教わる事無くこの年まで、生きて来ちゃったみたいだ。
 嘘が許されなかったか、誰かの正解ばかりを押し付けられて育ってきたか。
「……お父様みたいな教え方は、ステファニーにはしなかったのね?」
 わざと入れた「お父様」に反応した。
「N語なんかすぐペラペラになるみたいに、聞かされていたけど」
 手紙の「三枚目」を渡した、読んだ間柄って事が前提だけれど、朗は頷いて、
「何も、教えてなんかいないんです。父は」
 そう言ってため息をついた。
「『賢い人間になれる装置』を、頭に埋め込んで、それまでに受けた嫌な記憶は全て、忘れてもらって、自信を付けさせてから送り出しただけです」
 うわバカっぽい。
 「賢い人間になれる装置」って、正式名称はきっと他に格好良さげなのがあるんだろうけど、そんな物を本気で開発しようとする連中は、頭が良くてもきっと馬鹿、って私は笑い出しそうだったんだけど、
「父は、それを、善行だって思い込んでいましたし、僕も否定は出来ませんでした。何せ、父が開発に携わった装置で」
 こめかみに指を添えて朗が、落ち着いた話しぶりで言ってきた。
「僕の頭にも埋め込まれている」
 そしたらもう、笑うに笑えない、と言うよりシャレにならなくて、呆気に取られたまま呟いていた。
「そんな装置が、本当にあるの……?」
「はい。世界中のお金持ちが、子供達の将来のために、買ってくれます」
 皮肉と分かる感じに微笑んでくるけど、世界中のお金持ち、フツーにアホやなホンマに。
「父の財産はそれで築き上げたものです。僕とステファニーが今のんびり暮らせているのも、父の恩恵、ですけれど、相続までは勘弁です。とっくに放棄しましたよ。父の業績に、繋がる人達でどうぞ、ご自由に」
「その装置って外側から、動かせるもの?」
「いいえ。本人の意思だけです。その意思自体が歪められていたら、何にもなりませんけど」
「何か、エラーが起きて、内側から破裂しちゃうみたいな事って、有り得ないのかしら?」
 まさか、って感じに飛び出した笑いが、ピタッと止まって、少しうつむいて考えるそぶりになった。
「絶対に、無いとは言い切れないですね」
「そうでしょう? 所詮は機械、なんだから」
「いや。ここ2年の間に、父の顧客でしかも父より上の世代の人達ばかりがいきなり、亡くなっているんです。まるで、狙ったみたいだなと、思ってはいたんですが……」
 それ思いっきし耐用年数決まってんちゃうん?
「ほら。だから死因は特定しておかなくっちゃ」
「装置の存在自体、知られてはいないんです。世界のひと握り、くらいにしか。解剖されても気付かれない、と言うより、吹き飛んだので。D国での捜査も終了しましたけど、証拠らしい物も見つからず、変死扱いです」
 やれやれ、ってつい夫みたいな言葉が口から飛び出そうになった。とんだ欠陥商品じゃない、と言うより詐欺とか人権侵害とか、人身売買とかも絡んだそれこそ犯罪的な臭いがするわ。
 見たところお父さんは40代の、中盤か後半で、それじゃあ朗もその辺りで? って思ったけど言わなかった。何でかって、
「あの父を持った報いってところですかね」
 朗の方で察したような事を言いながら、それでも妙にさっぱりしたみたいに、微笑んできたから! いやあんたは納得出来ているのかもしれないけど、ステファニーが!
 5、6年くらい前この人を初めて見た時に、あふれ出た言葉ってもしかして、ステファニーのものじゃなかったかしら。
「それでもねぇ。埋葬くらいは済ませておくべきよ」
「埋めた土が腐りますよ」
「腐った方が良い土になるから」
「言い得て妙ですね」
 やけに小気味良い返しが続いているけど、そうじゃない。
「お父さんのためじゃなくて、あなた達のために」
 笑顔を向けた先で朗の横顔は、何にも響いていないように見えた。
「お父さんに、手を合わせなくたって、良い人だったって言わなくても、無理に思わなくたって構わないの。お父さんは、遠く離れた所に行って、あなたにも、ステファニーにももう二度と近付けない、何の手出しも出来ないんだって、あなた自身がしっかりと、頭じゃなくて身体で理解しておかないと」
 ステファニー、と聞かせた辺りからうつむいて、口元を片方の手で覆っていく。
「そこを中途半端に済ませておくから、お父さんの幽霊が出て来ちゃうの。頭の中とか、鏡の中なんかに現れて、しゃべり出してくる。お父さんに、似ているんじゃないか、お父さんと同じ事やり出すんじゃないかって、だけど」
 黒い目をパチパチと細かく、瞬かせて、
「この2年間、見ていたけどステファニーは、お父さんが連れていた子供達とは、違うわ」
 ゆっくり息を吐くと同時に、涙を落とした。
「影響は受けていて、似ている気がすると思うけど、親と全く同じになる子供なんかいない」
 すぐに取り出したハンカチで、拭き取ってしまったけど、息を吐く度に滲み出すみたいで、ハンカチは手に握ったままでいる。
「あなたは泣けないって、ステファニーから聞いていたけど」
「理性を失って、自暴自棄になるような泣き方は、出来ないだけです」
「もしかしてそれも、『装置』の機能?」
「はい。時間の浪費に繋がる感情は、排除される」
 私からもため息が出たけど、涙よりも呆れ尽くした感じだ。ベンチから見える範囲には、今、誰もいない。念のために後ろや左右も見回したけど、夫だけ。
 息を深く吸い込むと少しだけ、頭の中が冷えた。
「私は、聞いていて思ったんだけど、お父さんの、あなたへの接し方に育て方がもう、犯罪で、あなたは被害に遭っていたんだわ。誰か探偵が現れて、『お前が犯人だ!』なんて名指ししてくれるような犯罪じゃないけど」
 思い付くまま、意味も掴めないような事を話し続けている私は、もしかしたら泣きたかったのかもしれない。
「何も、探偵が現れるのを待たなくたって、もうあなた自身の口から、その台詞は言えるんじゃない? そしてその方が楽になるんじゃない? あなた一人では難しくても、隣にステファニーがいてくれたら」
 お父さんよりも、自分になついてきたステファニーが、朗の目にどれだけ新鮮に、輝かしいものに映ったかしらとか、そりゃ人が変わったみたいに楽しげにもはずんだ口調にもなるわねって、思ったら、それってただ良い話、幸せな話ってだけじゃなくて、だけど、
 心のまま泣けはしない人に、涙を見せる事が、慰めになってくれるものか私には分からなかったから、わざと笑顔を作って軽い調子に切り替えた。
「そのあたりをしっかり済ませ切れたら、ねぇ、オチンチンも動いてくれるんじゃないかしら?」
 取り澄ましていた横顔が、うつむいて目を閉じて、少しずつだけど赤くなって行く。
「そんな事までしゃべったんですかシュテファンは……!」
 そんな事まで、って言うよりそれが入り口で悩みの中心だったけれど、そこはステファニー本人から聞かされた方が良い。
「大事な事よ。夫婦だしステファニーは女性だもの。ただやりたいばかりの男性とは違って、女性は愛してくれる人を選び出したいの」
「ですけど僕はっ、その……。それにシュテファンはっ……」
 あら男性形で呼んでるわね、って頭の隅には引っ掛かったけれど、
「何もそのものズバリを最後まで出来なくったって良いのよ。そんなのは、他人が勝手に作った基準なんだから」
 こっちだって、具体的なところまで聞きたいわけでも口を出したいわけでもない。
「あなた達二人がよろしいように、話し合うなり何なり好きになさいな。踏み込まないわよいくらお節介でも、他所のお宅の内側にまでそんな」
「え」
 『e』で終わる文章じゃなかったはずだけど、って一瞬思って、違うわ普通に疑問だわって思い直した。
「あ。その……」
 最後の音を気にするクセが、私にもしばらく残りそうねって、ため息が出て、だけど、N語の事なんか何も気にせず考えもしていなかった頃よりは、ほんの少しだけ面白いかも、とか思っていた間だったから、
「ありがとう、ございます……」
 朗の方で何を、どう考えて、最終的にその言葉になったのか、申し訳ないけど私の方では、いくら振り返っても分からなかった。


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