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【小説】『マダム・タデイのN語教室』3/10

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(10回中3回目:約3600文字)


LESSON2 使える物なら使いたい

 あれってそういう事じゃない? あの奥さん、連れ出されて本当は恥ずかしくないのかしら、
 って近所の奥さん達が気の毒そうに、だけど小気味良いみたいな笑みも浮かべながら、話していたけど、
 ステファニーは月に一度、2、3日から長くて一週間近くもの間、ほとんど身動き出来ず何の反応も見せない状態で、固まってしまう。
 そんな時なのに、まるでそんな時こそ見せびらかしたいみたいに、隣のご主人はステファニーに、ふわふわしたワンピースを着せて、ステファニーを座らせた車イスを押しながら、時々車イスを止めて、ステファニーの手を握っては話しかけながら、近所の主に公園をやたら楽しそうな笑顔で散歩している。
「あら。奥さんまた調子崩しちゃったの?」
 私達夫婦は公園で、木の枝を切ったり花がらを摘んだりしているから、二人を見かける機会も多いしその度声をかけてもいるんだけど、
「はいっ。ですけど、まあ理由も分からないんでっ、深く考えないようにしてますっ」
 夫が呆れたため息をつくくらい、笑顔ではずんだ調子で返してくる。
 月のものが随分重いのね、ってちょうど似通った感じの周期だから、近所の奥さん達は結論付けているけど、
 中には大げさねって、あそこまで動けないほどにはならないはずよって、演技しているのを旦那さんは気が付いてないんだわって、冷笑気味の人もいる。幸いみんながみんなではないけど。
 声をかけてすぐ近くで見ていると、とても演技で出来るようには思えない。指の一本も動かさないでただ座っている全身から、
「動けない苦しいのお願い助けて助けて誰か助けて」
 って訴えかけてくるようで、
「お二人に、お礼を言っていると思いますよ」
 ご主人の笑顔が随分と無神経みたいに感じてしまう。
「私達に? どうして?」
「いつも、気にかけて下さるんで。興味本意じゃなく」
 それはご主人あなたのお気持ちでしょう、って言いそうになって、そう言えばそれで何の問題も無い事に気が付いた。

「私もあなたも語学を、なめていたわね」
 頭を抱えながらため息混じりにぼやいてしまったけど、テーブルの向かいに座ってステファニーは、ワタシ、と、アナタ、しかまだ分からないものだから戸惑っている。
「次に来る時までに、ND辞書と、DN辞書を借りてきて。ご主人、きっと持っているはずだから」
「ジショ」
「あと、ノートに筆記用具くらいはあなたも用意して来なくちゃ。バッグもそんなに小さな物じゃ、入り切れないわよ」
「ノート。バッグ」
「ああ大丈夫。今からご主人に、手紙書いておくから」
 お茶を飲んでもらっている間に手紙を、簡単にだけどまとめたまでは良いけれど、何も成果を残せないままご主人に、要求ばかりを送るのも残念な気がして、胸に手を当てて言ってみた。
「私は、タデイ、セツコです」
 そうしたらステファニーも真似をする。
「イッヒビンシュテファン……」
「そう」
 D語の綴りなんか分からないから、ノートにはカナで聞こえたままを書いておく。

   イッヒ ビン ステファニー ミクス

 の、「ビン」の下に線を引いて、
「N語は動詞が一番最後」
 
   わたしは ミクス ステファニー です

 の、「です」に向けた矢印を、「ビン」の下線から引いておいた。
「今日はこれだけ覚えて帰って」
 手紙と一緒にノートの、そのページを切り取って渡して、どうかしら、まだ教わりに来てくれるかしら、って少し心配していたけど翌週も、同じ時間にやって来た。
「コンニチワ」
 この間よりは大きめだけど、ノートが入るサイズかしらって心配になる手提げバッグから、手帳サイズのノートとボールペンと、買ったばかりみたいにツヤツヤした電子辞書を取り出してくる。
 何も怒ったり気を悪くするほどじゃないけど、シャーペンとか消しゴムで良いのよ? あとノートのサイズはもっと大きい方が書き続けやすいわよ? って思う。
「ロウ」
 電子辞書を何ともう一台取り出してきて、手紙と一緒に渡してくる。

 -- 現在購入可能な最新版です。
    先生にも差し上げます。授業にお役立て下さい。

 有り難いから申し訳無いけど普段どんだけ金稼いでんねんご主人いけすかないわあ!
 近所の奥さん達の中にも、ちょっとステファニーに冷たい人がいるのは、しょうがないけどご主人、あなたのそのごく普通に当たり前に余裕シャクシャクな、暮らしぶりのせいでもあるからね?

 -- 時々シュテファンと名乗るクセがありますが、
    ステファニーの男性名です。
    深い意味は無いので気にしないで下さい。

 いやめっちゃ気になるねんけど!
 なんで? ホンマに深い意味とか無いん? あんたが勝手にそれだけみたく思てるだけちゃうん? 男装の趣味とかあって男性名で活動していたりして。美人さんだから、男装しても様になりそうだけど。
『手紙』
 ステファニーが操作していた電子辞書から、音声が鳴った。あら何て便利。
 そうしたら私の方でも、文法とかの話までは自信が無いし、自分側のノートを広げてページを縦の半分に区切って、左側の一番上の行に「名前」って書いた。
 私も電子辞書を操作して、ND辞書で「名前」を調べて、音声ボタンを押す。
『ナーメ』
 ステファニーが顔を上げて、あら何か似てる、って言いたいみたいにクスッて笑った。
「名詞」「いつも」「使う」「もの」「調べる」
 単語だけどD語の音声を出す度に、ステファニーは頷いて、自分の側のノートも広げて縦線を引いたけど、ほら小さいから書き込みにくいでしょう。あとそのサイズだったら縦に区切らなくても、そのまま見開きで左右のページに書き分ければ良いと思う。
「ケスティオン」
「どうぞ」
 ノートの数行書き込んだページを見せてくる。

 -- Stephan  m
    Stephanie f
    Buch   e

 何かしらこの「m」とか「f」とか、って思っていたら、続けて電子辞書からの音声が、
『名詞』『性別』
 って言ってきて首筋に鳥肌が立った。
 風の噂で聞いてはいたけど、D語って、名詞まで、無機物まで「男性」とか「女性」とかに分かれる言語か!
 イヤださっぱり意味が分からない、そんな言語絶対に手を付けたくないって、若い頃に避けて通っていた思い出が、そう言えばあった。それで男性名も普段から意識するのね。
 だけど、気を取り直して落ち着いて、電子辞書の「名詞」の項目を眺めていたら、まさしく今使えるすごく有難い音声があった。
『(N語の名詞に性別はありません)』
 ステファニーは最初「そうなんだ」って感じに頷いたけど、すぐに「ん?」って眉を寄せて、首を傾げた形でそのまましばらく固まってしまった。
「(性別が無いのにどうやって、文を作る事が出来るの?)」
 D語に存在しない漢字、も難しそうだったけど、D語に当然あるはずのものが無い、っていうのも同じくらい、混乱するみたい。
 一時間くらい名詞を調べていったらもう今日は疲れた感じがして、お茶を淹れて雑談していく事にした。
「ご主人は、ロウはお仕事、何をしているの?」
 言いながら検索した「仕事」の音声を出す。
 そうしたらステファニーは、座ったままで多分ご主人の、ジェスチャーを始めて、多分キーボードを叩く仕草をして、耳元から口までの多分ヘッドセットみたいな物を通して、口先だけでブツブツ何か話すフリをして、その間の表情がまたご主人の、つまらなそうにしている時みたいで、
 リターンキーを押す時だけターンって、華麗みたいな指さばきになって、得意気な表情でヘッドセットを外す、様子が私は見ていないけど、ご主人本当にこんな感じなんだろうなと思えて笑ってしまった。
「ナーメ」
 首を振ってくるから「職業名は分からない」って意味に受け取った。
「ああ。大丈夫。何となく、分かった。すごいわね旦那さん、パソコンを仕事にして、D語も話せるのね?」
 ステファニーは電子辞書を手に取って、何かに気が付いたみたいに操作して、辞書に向かって話しかけた。そしたらすぐN語になって出力される。
『すごい』
『物知り』
『何でも知ってる』
 うわあ便利、って私も感心したけど、ついため息も出てしまう。
「それがあったら何も私が教えようとしなくたって良かったかしら」
 何だか伝わったみたいでステファニーは、首を否定する形に振ってきて、
 一旦止まって考えて、だけど、やっぱりどう答えたら良いのか分からなかったみたいでまた、首を振って、
「もう良いわよ。ありがとう」
 って私が言うまで振り続けていた。


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