【小説】『マダム・タデイのN語教室』8/10の上

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(10回中8回目の上:約2300文字)


LESSON6 解きようの無い謎もある


 そうか、やはり私の読み通り、殺されていたか、
 なんていけしゃあしゃあとぬかしながら、夕食後のダイニングテーブルのごく普通の背もたれ椅子を、夫は安楽椅子風に揺らしているけど、
「あなたに何の読みがあったの」
 いつもみたいに「フローリングが傷付くからやめて」、って言われるつもりでいた夫は、引っ込みが付かないまま背もたれを戻して、「すまんすまん」とか返して来る。
「私が今までに聞いていたのは、追い出されて施設とか病院にいるんじゃないかって、予想だけよ」
「もちろん最悪の場合も想定していたさ。しかし口に出すとなると慎重を期さなければ」
 左様ですか、ともっと毒突きたい気持ちを押さえながらお茶を出す。昼はステファニーが座っていた椅子を、夜は私が座って、夫の椅子は私を右手に、キッチンを左手に見た一辺。少し椅子を右斜めにすれば、テレビが見えやすいから。
 食事中はテレビをやめてって、言い続けてきたけど、「今夜だけ」とか「この番組だけ」とか言って直し続けない、を多分私達は、どちらかが死ぬまで続けるんだろう。
「ステファニーは、『自分が殺した』って言ってるけど、信じ切れないわ」
 と言うよりは、「信じたくない」と言った方が正確だけど、ステファニーだけじゃない本当を言えば誰の身にだって、何が起こるかなんて分からないものだから。
「そうだろうな。夫をかばっている可能性は十二分にある」
「その『十二分』って言い方やめて。イラッとするから」
「N語としては間違っていないだろう。ちょっとばかり強めた表現、というだけで」
「可能性はどこにどれだけあっても『可能性』なのよ!」
 息子がここにいたら、どこがそう思えるのか私達には分からないけど、「また夫婦漫才か」とか呆れてきそう。
「それを打ち明けられてセツコはどうしたんだい」
「意味が分からないフリしたわ。私の方で疲れてきたのね、きっと違う事が言いたいのに、上手く聞き取れなくてごめんなさいって」
「やれやれ身柄を確保しておかなければ、取り返しの付かない事態に陥るかもしれないぞ?」
 大袈裟な言い回しと表情で、夫も本気で言ってやしない事くらい分かっている。
「男性か本職の方にお任せするわ。私は所詮公園管理のおばさんだもの」
「一つ、警告しておこう」
 そう言われた時には聞いているフリくらいしてあげないといけない。
「次に来た時奥さんが、手土産、それもお菓子の類いを持って来たら、決して手を付けないこと」
「そんなベタな事起きるわけないじゃない」
 みたいな話を夫とは、していたんだけど、

 起きた。
「コンニチワ」
 笑顔のステファニーが持って来た紙袋から、取り出して来たのはラッピングも自ら施したと思われる、ビニールバッグに入った手作りクッキーで、どうしたものかためらっていたところに、封筒も手渡された。
「テガミ。ロウが、セツコさんに」
 やけに厚みがあるわね、とわざわざオープナーまで持ち出して慎重に開いてみたら、便箋が3枚も重なっていてギョッとする。だけど、私の方が先週は4枚も渡した分際だから、そこには文句が言えない。

 -- ステファニーがどうしてもお礼をしたいと言うので、
    それも出来る事なら自分で何かがしたいと言うので、
    クッキーの作り方を調べて本人に教えました。
    僕は手を出していません。
    なるべく口も出さないように気を付けました。

    何回か失敗もして
    今日お渡し出来る分も多少不格好ですが、
    味は保証します。
    まだ本人も食べていないので
    お茶の時にでも開けてもらえたら、
    きっと本人は喜びます。

 警戒されている事を察知したかのような文章!
 に、思えるのも夫の警告があったからかもしれない微妙なあたり!
 なので2枚目も読み進める。

 -- 言葉に支障は無い、と思っていたのですが、
    N語で話しかけられて
    頭を通さず理解できる感覚は、
    僕にとって新鮮で、
    思っていた以上に嬉しい事でした。

    情報量は格段に減りますし、
    しょっちゅうつっかえては辞書を引き直すので
    時間もかかっていますけれど、
    それで良いんです。

    そんなにすぐ分かった気にならなくても良いんです。
    
 3枚目は便箋じゃない白い紙だ。

 -- 父は、あの子たちに酷い事をした。
    きっと、言いようも無く貴重なものを、
    奪ってしまった。
    僕は、後悔しています。

    後悔しなくてはいけない事だったと、
    気付く事が出来て、
    先生には感謝しています。
    
 基本的に3枚とも整った文字だけれど、3枚目はきっと下書きまではしていない、どうしても書き送らずにいられなかった感じで、涙が出るほどじゃないけど目頭は熱くなった。
「テガミ、なに?」
 ステファニーが首を傾げてくる。夫の警告は、頭に残っていなかったわけじゃないし、これで殺されたら本望、とまでは言わないけど、死に際に「ご主人、大したものね」くらいは思える。
「クッキー、ありがとう。あなたも食べる?」
「はい!」
 ステファニーまで巻き添えにはしないでしょう、って思ってもらえると踏んでいやがる。多分、だけどそれを信じちゃった方が、負け。


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